ミズベリングという救い。水辺で乾杯という旗印。

「あなたのように、故郷にやり残したことがあって後ろ髪をひかれている人が…」「あなたも市役所でとんがっていたんじゃないの」

初対面の人に、言われた。私は、元市職員で、長良川のあるまちだから以前からミズベリングのことも知っていた、と言っただけだ。なのに、見透かされている。驚いた。


「ミズベリング・プロジェクト」は「とんがりもの」を応援している、とその人は言った。最初は「はみだしもの」と言っていたけれど、抵抗を示す人もいるので呼び方を替えたそうだ。

そうか、私、とんがりものだから、浮いてしまうのか。

自分はとんがりものとか、変人と言えるほどじゃない、そう言うにしては結果が少なすぎる、中途半端だ、と、ずっと思ってきた。でも、だからと言って、多くの人と同じ場所にすんなりなじめるわけでもなかった。
水辺で活動するとんがりものが地域で浮いてしまう感じは、ちょっとはわかる気がした。

ミズベリングは、まずは、思考を創造的に変えることだと理解した。特に、川や公共空間への。
川で何でもできる。ライブもできる。カフェもできる。あとは動物園とか、学校の授業とか。私にもまだ発想が足りないけれど。できる、できない、やる、やらない、ではなくて、お互いにまず発想を広げること。そこから始める、という思考様式が、ミズベリングなのだ。
ほんとうはそれはもっといろいろなところに応用できるのだろうと思う。

私なら、
長良川プロムナードか、うかいミュージアムの庭でライブがしてみたい。もしくは、また鵜飼の前に踊り船でライブをやって、プロムナードで見ている人にも見てもらいたい。
鵜飼をしているときに、食べ物や飲み物を売る人がいたら、もっと見に来る人が増えるかもしれないな。
川原でミュージシャンのMVの撮影をしたら、この景色がもっと発信されるんじゃないかと思う。
長良川を眺めながらお茶できるカフェって、うかいミュージアムくらいしかない、あの辺りには実は。もっとあったらいいな。昼も、夜はバーになってもいいかも。ちゃんと鵜飼も眺められるロケーションで。

正直なところ、なかなか岐阜にいられなくて、岐阜で自分がプロジェクトを進めることの難しさを痛感している。
でも、発想することはできる。
ミズベリングの思考様式は、私にとって救いでもあった。

そういうミズベリングのフラッグシップイベントが「水辺で乾杯」なのだと思う。
7月7日午後7時7分に水辺で乾杯しよう、という企画。すでに全国216箇所で「乾杯宣言」が行われている。
水辺で乾杯するということは、少なくとも、水辺に目を向けているということ。そして、ただみんなで乾杯するという企画を面白がっている人、加わろうとしている人がいるということ。

私も長良川で乾杯したかったのですがどうにも仕事が休めないことが判明したので、東京でこっそり参加しようと計画中。
でも、岐阜市でも開かれるようです。

岐阜市の長良川で乾杯

勝手に紹介させていただきました。誰でも参加できるようなので興味のある方は行ってみてくださいね。とてもうらやましい。。。

私にミズベリングのことを教えてくれたその人は、話の後、ランチをご馳走してくれた。私が取材に伺ったというのに…。
そして、初対面の私に、生まれ故郷のこととか、びっくりするほどたくさん、深い話をしてくださった。
そんな人だから、ミズベリングはあっという間に全国に広がったのだろう。

そして私は、この温かい出会いを、どうしたらちゃんと生かすことができるのか、ずっと考えている。
それはミズベリングのことを紹介するとか、そういうレベルに終わることじゃない。
とんがりもののとんがりをもって、動くこと、動かすこと。その舞台に、水辺はふさわしい。遠さを超える何かを見つけ出して、やらなきゃ、やりたい、と思う。

記録的な大雨。岐阜でも境川のあたりが特に、警戒すべき状況が続いているようです。
水辺と危険が切り離せないことは、岐阜に育ったら多分刷り込まれている。
だからこそ、水辺にちゃんと目を向けることが大事なのかもしれないと、思ったりもする。

2件のコメント

    1. ありがとうございます。本当にお世話になり、ありがとうございました。
      ミズベリングでつながっていると思うと、九州も他人事には思えなくなってきました。
      本当に、まずはご無事でありますように。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です