求められているのは「関係人口」より「関係人材」? 「聴くTURNS」第2回から考える。

「聴くTURNS」第2回を聴く。

「聴くTURNS」第2回
いつもは「読む」を届けている雑誌TURNSですが、こんな時だからこそ、ちょっぴり違った五感で地域のはなしを紐解いてみたい。そんなことを考え「耳で聴くTURNS」を新たに創刊しました。
配信日:2020年5月9日(土)17:00~18:30(アーカイブあり)
テーマ:コロナでどうなる?関係人口と微住
ゲスト:
田中輝美さん(ローカルジャーナリスト)
田中佑典さん(生活芸人)
パーソナリティー:
ミネシンゴ(TURNS編集ディレクター)
堀口正裕(TURNSプロデューサー)


『関係人口をつくる』の著書のある田中輝美さんと、台湾と日本をつなぐ活動をされてきて「アジア微住」をすすめる田中佑典さんのお話。

私は岐阜市民ジャズビッグバンド 楽市JAZZ楽団のメンバーとして、6年間、だいたい月1回川崎市から岐阜市へ通っていた。このブログ「ギフップ!」も運営している。それでも、自分が岐阜市の関係人口になれているとはあまり感じられない。バンドはひとまず置いておいてそれ以外で、自分の存在が喜ばれたり、求められたりしているようには感じないのだ。岐阜に関して何か頼まれるということもない。迷惑がられているというほどではないのだが。
なぜなのか、聴きながら考えた。

・求められてやっているわけではない。求められていることをやっているわけではない。自分の好きなことをやっている。

楽器が好きでビッグバンドが好きで、楽市JAZZ楽団が好きで。人のお話を聞くのが好きで。それがやりたいという気持ちが強かった。岐阜に何が求められているか、それをやろう、ということはあまり考えていなかった。

そして、好きなこと以外にはあまり手を出してこなかった。うまくやる自信がないし、岐阜にいる時間が短い私が失敗して迷惑をかけるのは申し訳ない、という気持ちもあった。そのためなら交通費をかけて通う、という覚悟はなかった。結果として、サンデービルヂングマーケットの当日スタッフのような、限られたことしかできなかったし、活動も人脈もなかなか広がっていかなかった。

・腕が足りない。

このブログでもインタビューをさせていただいたし、前職や他のウェブサイトなどでも岐阜の人などの取材、紹介をさせていただいてきた。しかしそこからなかなか広がっていかないのは、求められていないことに加え、もう一度何かお願いしてみたいと思わせるほどのクオリティのものができていないからだと思う。(数少ない、広げてくださっている方々には深く感謝しております…!)

・人とのつながりをつくれていない。

バンド以外では、岐阜で何か組織に入っているわけではなく、何かを仕掛ける側にはなれていない。バンド以外で、声をかけられるような関係にある人が少ない。

・岐阜市内に人材が多い

たとえば編集やライターの方を考えても、Edit Gifuさんとかさかだちブックスさんとか、そしてほかにも全国誌に書かれているライターの方がいらっしゃる。カフェを紹介するブロガーやインスタグラマーの方も多い。



発信力という点でも、たとえば「サンデービルヂングマーケット」などの仕掛け人であるミユキデザインのお二人は、あちこちの全国誌で取り上げられているし、最近はウェブマガジン「コロカル」で自身の連載を持っている。昨年夏の「リノベーションスクール@岐阜」のスクールマスター青木純さんをはじめ、全国的なネットワークもある。

田中佑典さんが「パーフェクトなまちなら関係人口を必要としない」とおっしゃっていた。リノベーションスクール関連のことを除けば、岐阜市の人の感覚はそういうことなのかもしれないと思ったりもする。

「人口」より「人材」?

自分の好きなことで、岐阜のことで何かしたい、という思いだけがあっても、特に必要とされない。自分にもできるかもしれないことでも、もっとすごい技術を持つ人が市内にいるから、わざわざ遠くに住む自分に求められはしない。

まちの関係人口が多いほうが素晴らしい、と言われることが多いが、本当は関係人口として求められているのは限られた人なのではないか。一般的に言えば、お金と時間と課題解決能力のある人。もしくは、その地域で求めている特定の人物像。
お金だけなら、ふるさと納税などはできるかもしれないが、その先、関わりの階段を上がっていけない。お金と時間の組み合わせは、どれだけ多くその地域に来られるかということを表す部分も大きいので、移動の自粛が求められている今、何より重要視されているのは課題解決能力だろう。

それ以外の人がその地域に興味を持った場合、表面的には地域の人に歓迎されたとしても、本当はいてもいなくてもどっちでもいいと思われているのかもしれない。

自分は求められていないと感じれば、その地域への興味は失せていくだろう。自腹を切ってまで、地域に求められていて自分にできることを探してやろう、とはなかなか思えないのではないか。
正直なところ私もそういうところがある。岐阜への興味が失せはしないけれど、お金にも時間にも限りがある中で、岐阜に求められていることを精緻に探そうというところまでできていないのが現状だ。
(給料を払うから、地域に求められていて自分にできることを探してね、という制度が地域おこし協力隊なのだとも言えるだろう。)

今自分が考えているのは、岐阜に関連することに限らず、好きなことで腕を磨く、ということだ。いつかこの道の先で岐阜の関係人口になれたら、とてもありがたいと思うが、そんなに簡単なことではないだろう。

「関係人口」という言葉が、とにかく多いほうがいい、というイメージを強めているような気もする。「人口」という言葉に、数の多少というイメージが強いような気がするのだ。
でも実際に重要なのは地域との関わりの質なのではないかと、今回の「聴くTURNS」からも、自分の体感からも思う。

もしかしたら、関係人口というより「関係人材」とでもいったほうが、その性質をよく表しているのかもしれない。

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