眠らせていた力を解き放って、やりたいことを形に。岐阜から「サステナブルアート」の輪を広げる関愛子さん

経験や条件はやりたいことを諦める理由にはならない。関愛子さんを見ていて、そのことを強く感じる。

関さんは岐阜を拠点に岐阜ならではのワークショップを企画する「ぎふのふ」代表を務める。2018年4月の設立以来、これまで地域密着のオリジナルのイベントを企画してきた。
たとえば、繊維問屋街がありアパレルの街だった岐阜駅周辺にあるカフェで、参加者が自宅にしまいこんでいた布を持ち寄り「服飾パタンナーとふんどしを作る」ワークショップ、捨てる直前のスカーフやシーツで大きな筆をつくり、それを使って絵を描くワークショップ「大筆deアート」などを行ってきた。活動の柱となっているのは「サステナブルアート」という考え方で、「サステナブルアートジャパン by ぎふのふ」の代表も務めている。サステナブルアートとは、関さんの造語で、使わなくなった画材と、アートを続けたい人をつなげ、アートを続けられる環境をつくっていくという考え方だ。

2016年に岐阜に転居してくるまで、積極的に社会活動をしていたわけではなかった。しかし、自身で新しいことを始めた関さんは、ずっと腐らせずに温め続けてきた力を弾けさせ、岐阜のさまざまな人とかかわりながら、のびやかに活躍している。

関愛子さん

東京での「満ち足りない」生活と、見つめ直した人生の価値

関愛子さんは2016年、スイスから岐阜県岐阜市の長良地区、長良川のすぐ近くに越してきた。夫の転勤に伴うものだ。

ここには目の前に長良川と金華山の景色がある。せせらぎの音がして、さーっと鳥が飛んでくる。絵のような景色というよりも、絵の中でものが動いているのです。そして、風が吹くと川の香りがしてくる。とても心地いいです。そして、そんな景色のところまですぐに来られます。
長良川の北側で活動しているのは建築家やデザイナーなど、クリエイターが多い。景色に通じるのか、どことなく気質もゆったりしている感じがします。

関さんは東京都葛飾区亀有の生まれ。5歳のとき以来、親の仕事の都合で転校が多く、小中学校は「田舎」で過ごした。高校からは横浜に住み、都内の大学へ進学。卒業後は都内の大手重工業メーカーで派遣社員として事務職に就き、後に正社員になった。

就職活動をしなかったんです。卒業直後、自分で会社を立ち上げることも考えたのですが、事務など起業に必要なことは何もわからない。大企業に勤めれば会社に必要な機能がわかるのではないかと、修業するつもりで入りました。経理など会社に必要なことがそこでわかりました。

当時から環境問題には関心がありました。しかし東京では、ただパソコンに向かって目の前の仕事をこなす毎日。ずっと物足りないと思っていたけれど、自分に何ができるか、その頃は皆目見当がつきませんでした。

東京で一人暮らしをしていた関さんは「劣悪な環境に住んでいた」という。

東京は一人暮らしには向かないと思います。新卒が家賃を一人で賄うには高すぎる。通勤だけで疲れるのも嫌なので駅前に住んでいましたが、隣の声が聞こえてくるワンルームは落ち着きませんでした。
たとえば、二人で暮らすなら、一人暮らしの1.5倍くらいの家賃で2LDKに住めるのです。冷蔵庫からアイロンから家電は2人に一つですみます。一人暮らしでは環境負荷が高くなる。自分にとって、日々やることも大事だけれど、住んでいるところでストレスを感じないことの方が重要でした。

自分が続けられるのは「サステナブルアート」

結婚後、夫にスイス赴任の話が持ち上がる。二つ返事で「行きます」と答えた関さん。

とにかく、生活を変えたい、東京じゃないところに行きたいと思いました。

スイスでは国民の雇用を守るため、夫婦ともに外国人の場合はどちらか一人しか働けない。そのため関さんはスイスでは無職になった。

仕事をしていると忙しなくて、自分に向き合う時間はほとんどありませんでした。
スイスで仕事がなくなったときに、自分は何が本当に好きなんだろうと考えるようになりました。そして、スイスで働けないけれど、日本に帰ったら働ける。つぎ働くなら何がしたいかと考えるようになりました。私は器用ではないので、ころころと仕事を変えるより、一つのことを突き詰めていく方が合っている。では、長く続けられることは何だろう。

社会的な課題を解決するために働くのはどうかと考えました。自分の生きている間に自分のできることをしたいという思いがあった。
最初は女性や働いていない人のために何か…とも考えましたが、母親だから、女性だからという視点ではうまくビジョンが描けず、これではモチベーションが上がらないし、続かないだろうなと思いました。

スイスで旅行に行くと、旅先で「絵を描きたい」と思うことがありました。そんなときは現地で画材店を探し、色鉛筆やスケッチブックを買ってその土地で見たものをスケッチしていました。そのうち、旅行先で画材を貸すアイデアを思いついたのです。あると助かるサービスで、誰かの助けになりそう。それに忙しい人が暇を持て余すのは旅行先。ニーズはあるのではないかと思いました。
ただ、ひとつネックだったのは、自分自身はそんなに旅が好きではないことです。荷造りが苦手で、移動でくたびれて体調を崩すタイプだったので。

でも岐阜に引っ越して来てみたらすごく気持ちのいいところで、観光地でもある。ここでやればいいじゃん、と考えました。

関さんの住む長良鵜飼屋エリアには、ぎふ長良川鵜飼の鵜匠の家があり、路地を歩くと、鵜や鵜飼にまつわる道具などが見られる。夕方にはここから鵜匠たちが漁に出発し、夜には観覧船が停泊する。かつては水浴場としてにぎわい、さまざまな店も並んでいたエリアでもある。
「毎日ここを見ているとインスピレーションがわいてくる」という関さん。アートに関する社会課題にも気付く。

親が子どもに、アートの道を勧める家庭はそう多くないと思います。私も親に「高校を出たくらいで一生を決めるな」と常々いわれていました。そんな風に社会人になった人が、私以外にもいるのではないかと思い、ここで画材を貸すことで、アートを続けたかった人たちの気持ちを汲むことができるのではないかと考えました。
でも絵を描くことから離れた生活スタイルが確立されてしまっているひとたちは、果たして画材にお金をかけるだろうか。また、私は画材についての知識がないので詳しく説明できません。自分が続けられるのは何だろうと考えました。

以前から環境問題にも高い関心を持っていますが、実は環境を考えていたら絵の具なんて扱えません。環境や人体によくない物質を含むものが少なくないのです。最近では食べられるクレヨンなども開発されていますが、まだ数が少ないし高価です。それを多くの人に提供し続けようとすると無理が生じます。

そこで、使わなくなった画材があるだろうと気付きました。リサイクル関連のことは今まで勉強してきたので、その知識が生かせると思いました。環境課題の解決にもつながる。そのことは、自分にとって活動を続けるモチベーションになると思いました。
環境を維持する、絵を描き続けたい人が続けられるという願いを込めて「サステナブルアート」と名付けました。「ジャパン」とつけたのは、海外にもそういう活動があってもいいのではないかと思ったからです。それを日本から発信したい、と。

使わなくなった画材を生かすことで、新品を生産・流通させることにかかるエネルギーの削減や資源となる地球環境素材のロスを減らすとともに、アートを続けたい人が続けられる環境をつくる。関さん独自の「サステナブルアート」の考えがまとまってきた。

岐阜で出会った人々と、思いを形に

関さんは「サステナブルアート」の考えを周りの人に話し始めた。

東京で話すと親切な人ほど皆、金にならないからやめろという。東京では人が多すぎて需要と供給のバランスを見極めるのが大変だとも言われました。

でも岐阜で話すと、みんな「いいね」と言ってくれるのです。そしてすぐに「明日持っていくわ」となる。帰り道にコーヒーを飲んだお店でも話したら、そこでも「いいよ、あげる」と言ってもらったり。私は運転をしないのですが、自転車で回れる行動範囲内で、ワークショップを開けるほどの画材が整ってしまうのです。

こうした人との関係は東京とは「全然違う」と関さんは言う。

東京では毎日会うのは職場の人くらい。たとえば友人と飲みに行くのも、半年に1回会えれば多い方。会えば話がその都度近況報告か共通の話題に終始して、仲がよくてもプライベートな話はしていなかったりする。

なぜ東京ではそうなるのか。一つの考え方として、仕事終わりに立ち寄れる範囲内に会わなければいけない人が多すぎる。必然的に飲み会の数が増えて、一人一人と向き合う時間が「薄まる」のです。それでは自分と向き合う時間も取れないはずだと思いました。

そのことは、スイスに住んだ頃に気づきました。たまたま家が近かったことから飲み友達になり、彼女たちとは2週間に1回くらい会い、2か月に1回は誰かの家で飲み会をしていました。
出会ったから友達になれる、日本人同士だから友達になれるというわけではないですよね。画家やバイオリニスト、ピアニストなどアーティストばかりで、それぞれが個性的。彼女たちと美味しいものを食べ、自分の好きなようにしゃべる時間はとても心地よかった。

家が近く、気軽に集まれる個性的な仲間たち。実は岐阜でも、そんな人々との出会いが関さんの活動を加速させることになった。

あるとき関さんは、家の近くで「こよみのよぶね」のワークショップ(※1)が行われていることを知り、参加した。

(※1)こよみのよぶね…岐阜市で毎年12月の冬至の日に行われるイベント。アーティストの日比野克彦さんが発案したもので、鵜飼の観覧船に手作りの大きな行灯をのせて川に流し、見る人がそれぞれ一年を振り返る。行灯は1から12の数字をかたどったものなどがあり、それぞれの数字を一つの団体が担当して、一般参加のワークショップを開くなどしてつくりあげていく。

ここで初めて関さんは「長良会」のメンバーと出会った。長良会は長良地区で活動する人が集まる地域コミュニティだ。

興味深い人とつながる暮らしが楽しかったスイス時代があったから「入ってみたい」と言いました。すると「ミーティングがあるからおいでよ」と誘ってもらえたので、行ってみました。

そこには長良に住むデザイナーや建築家、陶芸家などクリエイターも多く参加していた。そしてこのとき特に関さんと意気投合したのが、建築家の近松慶孝さんだ。近松さんは2018年、長良鵜飼屋エリアにある古民家を改修し、一棟貸し切りの宿「Art Hotel & Residence 鵜飼楽屋」をオープンさせた人物だ。

彼は前から「アーティスト・イン・レジデンス」(※2)をやりたいと言っていたそうです。アートをここに根付かせるため、タッグを組もうという話になりました。そして彼が「何かゼロからはじめるなら」と「長良川おんぱく」(※3)を勧めてくれたのです。

(※2)アーティスト・イン・レジデンス…アーティストが地域に滞在して作品を制作すること、またその支援制度のこと。
(※3)長良川おんぱく…岐阜市で2012年から開催されているイベント。「オンパク」は体験プログラムを短期間で集中的に開催するもの。新しく事業を始めたい人がテストマーケティングをする場でもある。全国で開催されているが、長良川おんぱくはその中でも規模が大きい。

関さんはまず「長良川みちくさゼミ(※4)」に参加した。

(※4)長良川みちくさゼミ…岐阜市教育委員会が主催、長良川おんぱくを行うNPO法人ORGANが運営する青年向けの講座。参加者に岐阜の魅力を知ってもらい、まちづくりのプレーヤーを育てることを目指すもので、参加者がチームを組んで長良川おんぱくでプログラムを実施する。

ここで関さんは自身の企画を提案し、ゼミの仲間とともに実施することになった。できあがったプログラムのタイトルは「画家のとなりで描いて 飾って “プチ展覧会”」。関さんがこよなく愛する岐阜の景色を前に、参加者が、画家と一緒にその景色を描いたら小さな展覧会をしてみようという企画だった。画紙として美濃和紙を、貸し出し用に地元で集めた画材も用意した。おやつには岐阜で人気のお菓子を揃え、一緒に描いてくれる画家には岐阜県出身の方をゲストに招いた。

「ぎふのふ」の初回おんぱくに、ゲストアーティストとして参加した画家の一人が、岐阜を拠点に国内外で活動する奥村晃史さんだ。

名古屋のアートフェアで奥村さんの作品を見かけ、作品集を買って帰りました。家でめくって見ていると、金華山と長良川をモチーフにしたと思える作品があり、一度見てみたいと思っていました。モチーフの山の上に、お城があるようなのですが、作品集では小さくて見えなかったのです。

どうしても原画が見たいと思った関さんは、画廊を訪ねたが、その日はそこになく、問い合わせてもらうなどし、ひと月後、ついに対面する。

やっぱりいい絵でした。最初は見られれば十分と思いましたが、ふと思い立って、おんぱくで協力してもらえないかと聞いてみたのです。最初はきっぱりと断られました。「風景画家じゃないから」と。しかし「(描き方を)教えてくれなくていいので、この場所に来て、好きなように描いてください」とお願いして、どうにかOKをもらいました。


開催後に感想をいただきましたが、参加者の方にも、画家さんにも、楽しんでもらえたようで、ほっとしました。
岐阜の作家を呼んで、岐阜の景色の中で、岐阜で集めた画材を使って描く。岐阜尽くしのプログラムになりました。自分たちの名前も「ぎふのふ」にしました。

岐阜の「阜」の部首は「ぎふのふ」といわれることもあり、国内では「岐阜」という言葉にしか使われないという。そのオリジナル性にちなんだ名前だ。

集客は苦戦したように思えたけれど、二度の開催でどちらも6~7人来てくださったので、今考えればよく集まったと思います。
プログラムの途中で、通りがかりの人が「私もやってみたい」と来てくださいました。ふらっと来てふらっと描ける、まさにそれが私のやりたいことでした。

その後も「ぎふのふ」ではさまざまな活動をしている。長良川おんぱくや「善光寺大門まるけ」など地元のイベントに参加することが多い。あるときは岐阜善光寺の住職から、御開帳のときにあげられるのぼりが一度きりでお蔵入りしてしまうため、活用法を相談された。これをきっかけに、「善光寺大門まるけ」で、のぼりを割いて織り、布わらじをつくるワークショップ「のぼり to ぞうり」の企画が生まれた。

布わらじをつくるワークショップの様子

ワークショップ「大筆 de アート in 寺mamaマーケット」。地元の竹職人にもらった竹の棒に、家で使わなくなったマットから抜き出したスポンジ、着なくなったざく織りのカーディガンを巻き付けた大筆は、地元の現代美術家、渡辺悠太さんとの共作。紙は印刷会社から、経年による変色などのため使われなくなったものを提供してもらった。

関さんの「こんなことを実現したい」という思いが伝わり、「ぎふのふ」の輪は広がっている。

一緒に活動を続けられる仲間とは

「ぎふのふ」の活動を続けるうち、関さんは「常設の拠点がほしい」と思うようになった。そのころ、鵜飼屋地区に以前からある木材問屋が廃業することになり、その倉庫となっている建物が空くので、活用できないかという相談が長良会に持ち込まれた。

今まで「拠点があるといいね」と言ってきてその話だから、機運は高まっていた。乗っかることに、ためらいはなかった。さっそく下見に倉庫の中に入った瞬間「こんなに広いのか」と思い、本気になりました。これだけの広さのものを借りるなら遊びでなく、本気でやらないと。

賃貸借契約を有志の団体として結ぶにあたり、LLP(有限責任事業組合)を設立することになった。関さんのほか、建築家、デザイナー、動画クリエイター、飲食店、パソコンの専門家など、地元在住の13人が名を連ねて「長良川リバースケープLLP」が誕生した。
長良川リバースケープLLPではここを、この地域を訪れる人が、誰でも気軽に寄れるような開かれたスポットにしたかった。倉庫の改修費用はクラウドファンディングで集めることにした。108万6,500円が集まった。メンバーも参加して改修を進め、2019年の鵜飼開きの5月11日に「&n(アンドン)」がオープンした。レンタルカヌー&エコツアー「ゆいのふね」や、カフェ&バー、居酒屋、家具店、花店などが入居している。

&n(アンドン)外観。8月11日の「あんどん朝市」開催時のもの


内覧会の様子

メンバーとは今も週1回はミーティングをしていて、スイスでの飲み仲間よりも頻繁に顔を合わせています。みんな思ったことを好きに言っているけれど、それこそが長良川リバースケープの持ち味。いい関係、いい状態です。
今まで一人でもできることをやってきましたが、今は仲間が自分にできないところを補って援護してくれる。とてもやりやすいです。会社にいたときは、求められていなかった能力やスタイルを、受けとめてくれる人がいる。自分がだめだったのではなく、環境にもよるのかもしれないですね。

東京にいるころは、こういう面白い人はどこに集まっているんだろうかと考えていました。学校でも会社でもないつながり。立ち止まって見回すと、腹を割って話せるひとたちは、こんなに近くにいたのです。ここにいて話がとんとんと進んでいくのを見て、こういう風につながっていくんだと知りました。

自分がやりたいと思ったことを発信していけば、誰もがこういう風につながっていくんじゃないかと思います。私の場合は、自分がこうありたい、こういう生活がしたいと思ったときに、自分の好きなものを突き詰めていく、体も環境もムリをしない、そういう心地よさを追求しながらやってきたことが、いまにつながっている。嫌いなものは切り捨てていくくらいの心がけ、心意気でやっているとこういうところに行きつくのかなと思います。

明るくて誰とでも打ち解けて話していて、気配りもしてくださる関さん。これまで、今のような活動をしていなかったというのは意外だった。
関さんにはもともと能力、人間力があるからできた、とも見えるかもしれない。もちろんそういう部分は大きい。でも、その力はそれまで封印していたものだった。
人は誰もが何かしらの力を持っているはずだ。自身の中に眠らせている力を解き放てば、本当はもっと多くの人が、自分のやりたいことを実現できるのではないか。それは長い間眠らせていた後でも遅くないのではないか。関さんのお話に、そんな風に勇気づけられる。

そして関さんは、自分のやりたいことを発信することで、つながりの輪を広げていった。それも、もっと多くの人ができることなのだろうか。
実は前の記事でインタビューを掲載させていただいた寺町正美さんは、関さんが紹介してくださった方だ。未熟な私がこれから、こうしたつながりをどうつなげていくことができるのか。これから、身をもって挑戦してみたいと思う。

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