台湾に行ってきました。
が、その間中ずっと風邪をひいていました。
しかし、せっかく来たのだからと貧乏人根性を発揮し、スローペースながらも歩き続け、三食しっかり食べました。結果、帰ってきてもしばらく風邪でした。体力温存のため重い一眼レフが持ち歩けなかったのはちょっと残念。
仕事柄、外国人観光客にとってどんな感じなのか?というのをずっとみていたのですが。
ずっと、当たり前のように接してくれるのが、なんだか心地よかった。
箸がテーブルに一つしかなくて、身振りと日本語で箸、もう一つ〜?とお願いしたら、ああ!みたいなリアクションをして、箸を取って来て、すっとテーブルに置いてくれた。謝るでもないのが、なんだか心地いい。
別のお店では、壁の写真とメニュー表を見比べていたら、お店のおばちゃんがああ!という感じで日本語つきのメニューを持ってきて、「これ」と指差すと書き取ってくれた。まちの中心部とはいえガイドブックに載っていないようなお店にも日本語のメニューがある。お茶はあれね、と指差してくれて、自分で取りに行くことを理解した。
食べ終わる頃にはもうラストオーダーを過ぎていた。私たちと、赤ちゃんを連れた若い夫婦がまだ食べていて、おばちゃんは食器を下げるのを待ちながら隅の席で座ってスマホをいじっていた。「しえしえ〜」と言ったら顔を上げて手を振ってくれた。
他にも、ホテルの横とはいえコンビニの店員のおばちゃんもすっと日本語を話していた。数字まで。
当たり前のように、その人が必要なことができたら、それがなにより、おもてなしなのかもしれない。
日本でも。
それは外国人に対してだけじゃなくて、車いすの方とか、その他、旅にハードルがたくさんある方に対しても。
以前聞いた話。バリアフリーツーリズムが進んでいる伊勢志摩地域。あるうどん店に車いすのお客さんが入ってきたら、バイトのおにいさんが慌てず騒がずすっと一番入りやすいテーブルの椅子をどけて「ご注文は」と聞いたそうだ。
そんな風に、当たり前のように。
もちろん、それに至るまでには、うまくいかなくて失敗したり、お互いに聞き合ったり、という過程がどうしても必要だろうけれど。
それ以外にもいろいろあったのですが、なんせずっと風邪だったので、ゆっくりできたとか癒されたとかいうより、自分との闘いでした。
日本語メニューがなくて、ガイドブックに載っていなかったカフェ。一番最初に載っている中国茶を頼めばいいやと思って入ったら、店員さんが日本語だった。席に着いて見回したらめちゃくちゃお洒落だった。
その地域らしさを煎じ詰めたものが元にあるから、お洒落なんじゃないかと思う。それをちょっぴり、外の人にもわかるように、デザインの力で、ちょっぴり整理しただけなのだ。