ノーコミュニティの悩みと、アサダワタル『コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―』。

「コミュニティ」について考えている。

生き方編集者・山中康司さんのお話を聞いた後、山中さんにあって自分にない「コミュニティ」というものが、自分にも必要なのではないか、そこから逃げてはいけないのではないかと思い始めた。

しかしそもそも、コミュニティって何なのか。検索してみてもぴんとこない。私が子どものころから家の近くに「コミュニティセンター」があったから、新しい言葉ではないことはわかる。地縁・血縁的なコミュニティと、そうではなく都市型と言われるような、趣味などで結びつくコミュニティがあるのも聞いたことがある。そういえば昔、山崎亮さんの本『コミュニティデザインの時代』を読んだような。しかし検索で出てきたページを見ていると、オンラインサロンとコワーキングスペースのコミュニティのみを指しているような書き方のものもあった。

なかなか混乱していたとき、図書館で「コミュニティ」という文字が目について借りた。

『コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―』アサダワタル

しかしここにも、「コミュニティ」が何かということについては、あまり詳しく書かれていなかった。

コミュニティ難民ではない。

本書ではコミュニティについて「ある特定の常識、価値観、専門性を共有した人々が集まり、それらに対して何かしらの帰属意識を持ちながら、一定の連帯を構築する集団、あるいはその分野領域」と定義している。そして、「 “専門性” や “分野” という名のコミュニティ」について主に考察を進めている。例えば「芸術文化」とか「福祉」とかいった分野領域や、そこにいる人たちのことだ。そしてそのコミュニティを〈島〉と表現している。

自分はコミュニティ難民ではない、と思いながら、コミュニティ難民について知るつもりで読み進めた。しかし最終章で「「ああ、私もコミュニティ難民かもしれない」と感じているあなたに対して言えること。」という一節に出会ってはっとする。この本は、自分もコミュニティ難民かもしれないと思っている人に向けて書かれているのか。

自分はコミュニティ難民のように、できることがいくつもあったりはしない。それで食っていけるような能力は今の仕事しかない。アサダさんの使っていた「器用貧乏」という言葉とは真逆の人間だ。

仕事柄、メディア、つまり媒体を扱うから、例えば専門家と読み手をつなぐようなことをすることはある。しかしコミュニティ難民のように、〈島〉と〈島〉を〈小舟〉でつないで、「新たな社会との実践的かかわり」を生み出すようなことには至っていない。

ただ、どこの〈島〉にもいない、という感覚に「コミュニティ難民」と共通するところがあるかもしれない、というくらいだ。
自分の仕事ぶりには自信がなく、他の編集、ライターの方々と同じ「コミュニティ」にいるというような感覚は持てない。
社会人ジャズビッグバンドのメンバーだとか、サックスを吹いているとかいう意味では、大きな「コミュニティ」の末端にいたかもしれないが、今は辞めてしまっている。

もっと広く考えても。

山中さんが先日お話しされていた「コミュニティ」は、本書の定義にとどまらないと思う。
仲のよい人たちのことや、フィードバックをもらえるような人たちを指している箇所もあった。それらは専門性や分野というより、もっと狭い範囲の、顔の見えるようなコミュニティだ。

そういうコミュニティを考慮に入れても、自分はノーコミュニティだと感じる。会社はもともと人数が少ないうえに人が入れ替わっている。バンドも今は辞めてしまっている。他に自分が所属していそうなコミュニティが思いつかない。

山中さんが運営したいと考えている新しいコミュニティのお話もあった。これはどちらかというと、オンラインサロンのコミュニティに近いような気がする。
こうしたものも本書では言及されていない。この出版当時は今ほどオンラインサロンが一般的でなかったという理由もあるかもしれないが。

アサダさんは本書の最後で、「コミュニティ難民」には “仲間” がいると書いている。
つまりはコミュニティ難民同士のコミュニティがあるのだ。コミュニティ難民でもない私は、もちろんそこにも入れず、やはりノーコミュニティとしか思えない。

私が得るべきコミュニティとは。

コミュニティを得るなら、いっそ何かオンラインサロンに入ったほうがいいのではないかと思い始めた。コミュニティがあった方がいいのではないかと思っても、ほとんどは入りたいと思ってすぐに入れるものではない。オンラインサロンなら、入りたいと思って手続きさえすれば、コミュニティを得られるかもしれない。

ただ、コミュニティという言葉は多様なものを指すことがわかってきた。それでも、得られるならどんなコミュニティでもいいのだろうか。例えば編集者という専門性のコミュニティに入った気がしても、他の編集者と会うことがほとんどなければ、何かよい効果があるのだろうかと思う。自分にとってよい効果のあるコミュニティとは、どんなものなのだろうか。

コミュニティを巡る思索は続く。

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