奥多摩の奇跡。

何か罰が当たるんじゃないかと思うくらい、素敵だった。
電車が来るまで、ぼーーっとした。

かなり行っても、まちだった。東京は、中央線でどんどん行っても、窓の外には家が見えた。青梅を過ぎてようやく、片側が家、片側が山。奥多摩町に入って大分自然に囲まれてきたけれど、それでも駅のたびに家はちゃんとあった。

古里駅を降りると、ちゃんと、山。
とりあえず取材先の場所を確かめる。建物の隣が、川。都会を脱出できたことに改めて気づく。

乗り間違いが怖くて1本早い電車で行ったので、まだ時間があった。電車の中でランチと検索して出てきた、駅徒歩10分のお蕎麦屋さんまで歩きながら、奥多摩の景色を吸収する。「丹三郎」さん。文化財に指定されている立派な門、建物の古民家も、江戸時代からのかなり上流のお宅であろうことが、掛け軸とか調度品から伝わる。ずっしりしている。


人気とネットに書いてあったとおり、平日でもお客さんが次々にやってくる。おそばはつるっとしていて、でもこしがあっておいしくて、人気だというのがなんとなく理解できた。客が自由に感想などを書けるノートがテーブルごとに置いてある。細かいところまで手が行き届いていた。

取材が終わって駅に戻ると電車まで25分近くあり、そのへんを散歩することに。ほんの15分ほどの間に二人も話しかけてくださった。お一人は、「引っ越してきたの?うち寄ってく?」と。
途中で移動販売車と、買い物をする女性を見かけた。確かに、駅の向こう側には小さいスーパーらしき店があったけれど、線路を越えて行くのはなかなか大変だろう。しかも結構な斜面の途中やその上に住宅がある。

丹三郎で調達した、このあたりの観光マップに書いてあった熊野神社。なにやら大掛かりな門をくぐると、本堂。
…その荘厳さに倒れそうになった。大工さんが屋根の修理をしていることも含めて。この本堂は脇に立っている木と同じく、ずっとずっと前からここにあって、修理されてきっとずっとずっと未来まで伝えられていくのだろう。この本堂は、未来につながっている。
お参りをしていると若い大工さんが忙しそうに横を通っていった。

写真を撮っていると「取材?」と話しかけてくださる男性が。いや本当の取材はもう終わっていて、と、もごもご。でもこの門が舞台になっていて相当珍しい形だということ、二階を舞台にして劇をやって、境内で皆さんが見ることなどを教えてくださった。門の木は見たところそんなに古そうではない。ちゃんと修復されて、現役で使われているのだろうと思う。

「ごみごみしたところからこういうところに帰ってくると、ほっとするというか、落ち着くというか」
その日取材させていただいた方はそう言っていた。
観光地でもない、まちの真ん中でもない場所でのほんの少しの滞在なのに、忘れられない。
もしかしたら、観光地でもまちの真ん中でもない場所だからこそ、そこで何かに出会えることは予想外の奇跡で、より心地よく、より素敵に思えるのかもしれない。
そして一瞬だからこそ、その印象は強く、残る。

観光地でなくても都会でなくても、人に喜ばれる場所になることはできるのだ。

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