「代表」に、会いに行く。

久しぶりに、代表に会いたくなった。

「鵜の庵 鵜」は閉店まであと30分ほど。いつもの店員さんは駐車場を閉めようとしていたけれど、「どうぞ」と入れてくれた。
そろそろ、外にいる鵜を鳥屋の鵜籠に戻す時間。店員さんにことわって中庭に出る。鳥屋のあたりで代表が、鵜の餌の準備をしていた。しばらくしてようやく目が合ったので「こんにちは」とだけ挨拶する。


本当は、もう代表じゃない。去年のシーズン前に代表は譲って、今は鵜匠の一人に戻っている。でも、ずっと代表と呼んでいた。山下鵜匠、といっても二人いるし、純司鵜匠、なんて下の名前で呼んだこともない。店に向かう間から考えていたけれど、どうしても答えに行き着かなかった。
店に戻るとコーヒーを出してくださっていた。変わらないカップと、添えられる柿の種。そして、ちょっと濃い目のコーヒー。この味も変わっていない。取材に来たときにも、よく出していただいた。この味、実はレベル高い気がする。

代表が店の中に入ってきた。何か取りにきたようだ。そして「もう少しすると、目の縁が赤くなってくるんやよ」と、話しかけてくれた。
ちょっと話してから思い切って「実は以前、市役所の広報で取材にお伺いしていて」と言ってみる。代表はちょっとだけばつの悪そうな目になって「そうか」と。気を遣わせたことを申し訳なく思いながら、今の仕事の話をした。

代表はそのままいろいろ、話してくれた。鵜に餌をやって鵜籠にしまうのは、息子さんがやっていた。「いやいややっとるわ」と代表。え、と言うと「いやいややるのがいいんやよ。好きな仕事やったら、やって満足してまう。自己満足の世界。いやいややと、何やっても文句言われる。それでもやり続ける。」ぐさぐさと私に刺さる。自分の仕事は自己満足になっていないか。そして、今、いやいややっていることにも意味はあるのかもしれない。代表の言葉はいつもそうだ、その時々の私を見透かしているようだ。
基本的に鵜の世話がいつもあるから、代表はなかなか旅行に行けない。でも、言葉の通じない鵜との世界は広くて深い、と話してくださったことがある。本当にそうだと思う。

これからは息子さんもいるから、自分は鵜を連れて遠くにも行って話をしたい、と代表は話していた。「話すことは考えてかへん。その場で、相手の顔を見たら口が勝手にしゃべる」と。そしてまだまだお話ししてくださった。途中、「代表」と呼んでしまった。これまで、ずっとそう呼んでいた。私なりの親愛の情が、その呼び方と分かち難く結びついていたのだ。
お暇して、しばらくして気付く。代表は私のことを覚えていなかった。でも、あのころと変わらない感じにお話ししてくださった。代表は人を分け隔てしないのだ。初対面だろうが、偉い人だろうが。私の顔を見て、たくさんお話ししてくださったのか。そう思うと、とても本当に嬉しい。

鵜飼は動物を酷使するとかそういうこととは全く別のところにある。ちゃんと系統立てて考えたら、次代への人と動物、自然の共生モデルとして発信していけるのではないか。そうしたらもっと多くの人、若くて感度の高い人や海外の人にも魅力を届けられるかもしれない。

今年のシーズン開幕まであと1か月を切った。観覧船の船洗いは、観覧船の予約は、始まっている。今年は何回見に行けるかな。

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