都会っ子を、長良川花火へ連れていく。

大阪生まれ大阪育ち、川崎市在住。子どものころにPL花火を遠くから見、これまで淀川花火、水都天神祭、隅田川花火などに行ったことのある都会っ子の夫を、用事のついでに長良川の花火に連れ出すことに成功した。

昼過ぎ、岐阜駅。早くも浴衣姿の女子やカップルがうろうろしている。

まだ花火まで時間もあるしこの人たちはこれからどこ行くのかと夫。しかしこの時間から場所取りをする人は珍しくない。道路もどんどん混んでくるので、移動は早めのほうがいいのだ。岐阜の人で花火に行かない人は、この日はさっさと用事を済ませて家に帰ってしまう。

私自身は場所取りをしたことはない。自宅から川原までは徒歩約30分、というお気軽アクセスであることが、私がたびたび長良川の花火を見に行ける理由でもある。夜7時前に家を出ればいい。子どものころは親と行き、中学生のころには「高校生になったら彼氏と見に行きたいね」といいながら女子3人で行き、高校生になってやっぱり女子の友達と見に行った。いとこが彼氏と見に行くというので、ちょうど空いていた我が家の駐車場を提供したこともある。

畑や住宅街の間の裏道を歩く。途中、家の前でバーベキューをしているところを3か所くらいで見る。3階建ての屋上でやっている家もある。よく見えそうだ。メモリアルセンターの駐車場の表示は「混雑」。まだ数台入るようだが、入口の門をすでに閉めてしまっている。歩いている人にもぽつぽつ出会う。
途中で5分おきくらいに前座(昼の部)の花火が上がり、金華橋の手前まで来たところで夜の部が始まる。とはいえ走るわけにもいかず橋を上り、堤防道路までたどり着いて、そのあたりで見ることにする。

私にとっては2年ぶりの長良川花火。金華山を背景にした花火は遠くからでも見える。でも長良川も一緒に見るためには少なくとも堤防の上まで来るしかない。30分歩くのはそのためだ。山と川と花火。やっぱりこれだ、と思う。
都会っ子の夫は30分歩く間の暑さにまだ辟易しながらも「打ち上げているところが見えるのがいい」という。確かに、金華橋付近からは対岸の打ち上げ場が見える。さらに「これくらい混んでいないならいい」という。岐阜の人にとっては普段と比べてめちゃくちゃ人の多い日だが、確かに隅田川花火やら淀川花火やらの人の多さとは違う。堤防道路で見ている人もいるけれど、幅の半分くらいは歩ける余地が残っているし、堤防へ降りて斜面に座りたければ、二人分くらいの隙間はまだありそうだ。人ばかりで身動きできないというほどではない。

私が学生の時に初めて長良川以外の花火、淀川花火を見に行って思ったのは「花火の上がるテンポが速い」ということだった。改めて長良川花火を見ると、時折仕掛け花火が入るので、遠くから見ている人にとっては小休止をはさみながらという感じになる。ただその間が心をのんびりと解放させるのかもしれない。

もっと田舎の花火も見たことがあるけれど、より荒々しい自然を背景に花火が上がるという印象が残る。金華山や長良川のエリアでは織田信長の時代から観光が育ち、山も川も人の目にさらされてきた。だからこそ花火という人のつくりだした娯楽と独特の調和をなして見えるのかもしれない。都会の花火大会の背景になる川やビルともまた違う、それよりは自然らしさを残している。
長良川の花火大会は世界一、と思う理由はそんなところにもあったのかもしれない。

風のない夜だった。花火の煙が流れなくて、最後の方の花火は煙越しに光が見えた。という見た目の問題だけでなく、暑い。うちわを持ってこればよかった。夫は途中からコーラが飲みたいと繰り返すが、買いに行って戻ってくるのは大変そうだ。仕入れてこればよかった。アルコールを飲むと30分歩くのが辛くなるのでソフトドリンクで。そして折り畳み式の小さい椅子を持ってこれば、堤防道路でも座って見られそうだ。次への教訓。

帰り道も徒歩。畑に差し掛かったところで、夫が立ち止まって星座盤アプリをダウンロードし始めた。ここは街灯もあるし、星を見るならもっと山の中のほうがいいのに、と思ったのだが、夫は随分長い間アプリと見比べながら空を見上げていた。岐阜で楽しめるほど星が見えるなんて、気付いていなかった。

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