郡上ならではの手ぬぐい作り体験「Takara Gallery workroom/タカラギャラリーワークルーム」。住む土地が変わっても、自分であり続けるには。

郡上八幡のまちなかで、お洒落っぽい店を見つけた。

何の店かよくわからなかったが、タカラギャラリーワークルームという名前はさっきHUB GUJOさんで聞いたような気がした。

お店に入り、商品を眺めていたらお店の方が話しかけてくださった。
その話は私の心に刺さった。

 

ここはシルクスクリーン印刷の体験を提供しているお店だった。手ぬぐいとトートバッグに印刷することができる。
シルクスクリーン印刷は「郡上の地場産業なんですよ」と、オーナーの上村真帆さん
シルクスクリーン印刷とは、インクが通過する穴と通過しないところをつくることで版を製版する印刷技法だ。1948年に日本で印刷機が発明され、翌1949年、郡上市にある現在の株式会社ミノグループがシルクスクリーン印刷用機材の製造を始めた。さらに職人の養成所も開設し、郡上で学んだ職人が全国へこの技法を普及させた。

体験でできあがる手ぬぐいを見せてもらって驚いた。手作りという感じではない。売り物のように本格的だった。
しかもお値段も1000円からと良心的。本当は予約が必要なのだが、空きがあったので体験させていただくことができた。

 

不器用でも、本格派の手ぬぐいができた!

まず手ぬぐいかトートバッグを選び、印刷する柄を決める。柄にはいくつかの大きさがあり、1種類で1000円、1種類増やすと500円増し。選ぶ柄に制限はないけど、きれいにまとまるのは3種類くらいまでなのだそうだ。

柄は季節ごとに変わる。郡上おどりを踊る人など郡上っぽいものや、チェックやハロウィンかぼちゃのような現代風のものなどいろいろ。
GJ8マンもあった。郡上八幡を好きになったさくらももこさんがつくったキャラクター。郡上八幡のところどころで見かけた。さくらももこさんが亡くなったときに「最後に愛したまち」として話題になったんですよ、と上村さん。

郡上八幡旧庁舎記念館で見つけた、GJ8マンの自動販売機。

自他ともに認める優柔不断な私だが、気に入った柄があったので、自分としては奇跡的にささっと決める。柄は2種類にした。どこに何回入れるかというところでも個性が出せる。

手ぬぐいのサイズは二つ。郡上の踊り手ぬぐいは浴衣の襟にはさむため、全国的なものより少し長い。私は一般サイズに。

版を準備していただきつつ、色を決める。1色目はミントブルーに。上村さんが台に白い手ぬぐいと版をセットしてインクを載せてくれる。

そのインクを「スキージー」を使って刷り込んでいく。1か所につき2回。インクが垂れたりしないスキージーの置き方も教えてもらう。
言われたとおりにやる、というのが恐ろしく下手くそな自分、必死。

これはスタッフの方がされているのを撮らせていただきました。版をずらしながら刷っていく。

1色目を刷り終わると、乾かす。ドライヤー2台持ち。

そして2色目へ。やや迷った末、新色のキャメルにした。柄の入れ方も少々悩んで、2回入れることにしたけれど、ちょっと凝りすぎた気もする。

2色目も乾かして、完成。

私の不器用さでもよい感じにできた。しかも、できあがるまで40分くらいだったか。早い。

7月中旬から9月初旬にかけて、郡上八幡では連日の郡上おどりが行われる。郡上おどりに持っていくための手ぬぐいを作りに、夏は特に多くの人が訪れるという。地場産業と、このまちだからこそほしいものが絶妙に結びついているのだ。
さらに郡上八幡は食品サンプル発祥の地でもあり、サンプル作りは以前からの観光の定番だ。観光客に「体験の土壌があった」と上村さんは教えてくれた。

そうした条件だけではない。これほど人気があるのは、できあがった手ぬぐいのクオリティの素晴らしさにも理由があるだろう。これなら、長く大切にしたいと思う。
さらに短時間で体験でき、お値段も良心的、スタッフの方々も皆さん明るくて優しくて、英語でも対応可能。訪れる人のつぼにかみあうような、ソフト的なレベルの高さが人気を押し上げているのだと思う。

 

“嫁ぎ組”がひらく道。

冒頭に書いた、刺さった話とは。

HUB GUJOに行ってきたという話をしたら珍しがられた。そして、上村さんも移住してきたという話になった。

「他の移住の人は、来たくて来た人でしょ。私はそうじゃないから。“嫁ぎ組”だね」

愛知県豊田市出身で、もともとはアパレル関係のお店で接客の仕事をしていた。デザイナーの旦那さんが郡上出身で、その実家はシルクスクリーン印刷の工場だった。旦那さんはそろそろ実家を継がなければと決意した。しかし上村さんは郡上に引っ越すのを嫌がっていた。

「田舎に来るというのがね。そのころ、責任のある仕事にもついていたし」

上村さんは仕事を辞めた後、1年ほど海外へ旅に出た。その後、郡上市の南に位置する美濃市にまずは引っ越した。そしてそこから車で片道1時間かけて、アルバイトのため岐阜市まで通っていた。

「その1時間は私にとっては結構大事でした。今は将来のためにお金を貯めないといけないときだ…とか考えていました」

そのころに思いついたのが、夫の実家の家業でもあるシルクスクリーン印刷の体験プログラムだった。
イベントで手応えを得て、まずは2012年に今よりも小さな店で始めた。今は郡上市の移住や企業にかかる補助制度が充実しているが、当時はまだなかった。

そのころから、郡上で事業を始めようとしている、同年代から少し上の人たちと知り合うようになった。「田舎」でそんな人たちから刺激をもらうこと、そんな人同士がつながっていることが、上村さんの助け、支えにもなっていたようだ。開業したころは新しい店は少なかったが、この3年ほどで増えてきた。

最初は夫婦二人でやっていたが、店も夫のデザイナーの仕事も忙しくなり、スタッフを雇った。2015年にはそれまでの店の隣に、より大きい店を構えた。

「好きなことをやらせてもらっている」と上村さんは話す。
「あれだけ引っ越すのは嫌だ嫌だと言っていたのに、この間はこの地域の移住PRの動画にも出ちゃった」

上村さんには昨年、子どもが生まれた。店も6年目となり、スタッフも20代で入社した人が30代になって、ライフスタイルの変化が現実のものとなってきた。

「これから誰かに子どもが生まれたら、働ける時間が短くなるかもしれない。人に合わせて働き方を変えていくことができるようにすることが、これからの課題です」

上村さんがいろいろ話してくれたのは私が、自分も嫁ぎ組なんです、と言ったからかもしれない。
結婚して仕事を辞めて川崎に引っ越した私は、上村さんが郡上に来るのが嫌だと思った気持ちが少しわかる気がする。きっと前職で、責任ある立場で生き生きと働いていたのだろう。旦那で人生決められたくない。自分の人生自分で決めたい。自分の思うように生きたい。一方で旦那は好きだし、別れたいわけでは決してない。引っ越すのは嫌だけれど受け入れるしかない。それでも、やりたいことを諦めたと思ってぐちぐち生きたくはない。自分がやりたいから仕事を辞めた、移住したと思いたい。今されているようなことの方向性を見つけるまでは、相当苦しかったのではないかと思う。
…私の想像だけれど。私の思っていたことを上村さんに乗せて考えてしまっているところもあるかもしれない。

でも今、シルクスクリーン印刷の体験というアイデアを見つけて、自分の才覚を使い、たくさんの人とつながりながら多くの人を喜ばせている。やりたい、と思うことを見つけて、力を発揮している。

移住する場合に限らない。相手の思いに合わせてしなやかにライフスタイルを変えられる人もいるだろう。
でも、そんなに柔軟な人ばかりじゃないよなあ、と上村さんのお話を聞いて思った。相手に合わせるつもりがないわけではないけれど、自分というものは、自分の生き方というものは簡単には変えられないと思う人はきっと他にもいると思う。その思いを貫いて努力を続ければ、自分の好きなことをやっている、と胸を張って言えるところにたどり着けるのではないかと、上村さんを見て思う。強い思いこそが、タカラギャラリーワークルームをつくりあげたとも言える。

ライフスタイルを変えたくなくて、相手とは別の道を選ぶ人もいるかもしれない。でも、やっぱり両方ほしい。どちらかを諦めたくない。それは上村さんの道にとても共感するところだ。

自分も、相手のせいで諦めたと思いたくない、自分のやりたいことをやっていると思いたい、と思いながらきた。うまくいっているように見えていたけれど、そう甘くはない現実が見えてきたりもする。でも相手のせいにして生き続けるのは本当に嫌だ。

そんなに柔軟じゃなくても、うまくいくこともある。強い思いで可能になることもある。
上村さんに出会って、そんなことを思う。

Takara Gallery workroom/タカラギャラリーワークルーム
岐阜県郡上市八幡町島谷470-28
http://www.takara-garo.com/

 

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