相手のよさを伝えたい。岐阜で育まれた独自の感性を生かした井上衣保子さんの言葉は、大切にされている気持ちにさせる。

相手に、その人のいいところを伝える。それはそんなに簡単なことではない。相手が疑いなく受け取れる点を見つけて、信じられるように伝えなければならない。それができたら、確実に相手の役に立てる気がする。
岐阜県高山市出身、 インタビューライティングや「よさをフィードバックするセッション」などを行い、「よさがみえるラボ」副代表を務める井上衣保子さんの活動を貫くのは、「相手のよさを伝える」ということのようだ。謙虚な姿勢ながらも自信を持って伝えられる井上さんの言葉は、相手の心に深く響く。

自分のように苦しむ人が、話のできるように

井上さんは子どものころから、自分の繊細な感覚をなんとなく自覚していた。

小学生のころから「なんか生きづらい」というのがありました。人のちょっとしたことが気になって悶々としたり、自分の感情に振り回されている感じがあったんです。

小学校3年生くらいのころ、当時は買い物というと富山のデパートだったので年に何回か家族で行っていたのですが、そこの店員さんの態度が「冷たかった」と日記に書いていたんです。赤の他人のことでさえそんな風に気にするから、もっと身近な友達に対しても、向こうは全然何とも思っていないのに、私何かしたかな、とよく思っていました。

はっきり言葉で理解していたわけではありませんが、もしかして自分の感覚やとらえ方が繊細なのかな、と思うようになりました。そして進路を考え始めたときに、これは心理学に関わるのではないかと気付いたのです。人がなぜそんなことを思うのか、どうしてそれぞれ考え方が違うのかなど、心理学なら答えが見つかるような気がしました。

しかし、大学進学時に選んだのは農学部だった。いくつか大学で勉強してみたいことがあったが、その中で心理学は大人になってからでも勉強できるが、農学系の研究は大人になってからは無理だと考えたのだ。
大学卒業後は、 大学院に進学。修了後は繊維系の企業に勤め、その後は医薬品の臨床試験を行う会社に転職した。

その 会社に入ってしばらくは、人間関係にとても悩んでいました。どうしたらいいのかわからない日々が続き体調も崩していました。そして再び心理学に目を向けました。ここに何らかの解決策があるのではないか、ということと、もともとの興味が再び湧いてきたのです。

忙しく働きながら、井上さんは産業カウンセラーの資格を取るための勉強を始めた。土日のどちらか一日、朝から夕方まで授業を受け、修了後には筆記と実技の試験があるというハードなものだ。

勉強していれば楽、というような逃げもあったと思います。苦しい、どうにかしたいという思いがエネルギー源になっていました。

資格を取り、しばらくして転勤があり、環境は変化しました。転勤先の部署は社員数も多く、一つのプロジェクトに向かってみんなとやる楽しさがありました。最後にはチームリーダーになっていたので、いろいろなチームメンバーの話を聞いたりもしていました。カウンセリングで学んだことも少しずつ活かすことができ始めていました。

その後仕事はさらに忙しくなり、月100時間を超える残業、終電で帰れない毎日に。特に忙しいプロジェクトが終わり「やり切った感じ」を覚えた井上さんは、転職を決意した。
そのとき、とある知人から「辞めるつもりならうち来ない?」と声をかけられた。そこは心理学関係の講座などを中心に行う会社で、入社すると社内の仕事ほぼすべてに関わった。

そのころから井上さんは、代金をもらわない形でカウンセリングを始めていた。

自分が苦しかったから、似たような人の力になりたいという感じでした。以前、人間関係で辛かったときに、話ができる人がいなくて。話ができる人、本当の気持ちを言える場所があると、だいぶ違うのではないかなと思ったのです。

その後出産を機に退社することに。2年ほど育児中心の生活をしたのち、井上さんはカウンセリングをより本格的にやってみようと決意した。

感じたことを伝える、独自のカウンセリング

井上さんが行っているのは、一般的なカウンセリングとは少し違う。一般的に、カウンセラーは話を聞くことが中心だ。自分の意見は言わず、相手の言葉を解釈して言い換えることもしない。しかし井上さんの場合は聞くだけでなく、井上さんの感じた相手のいいところを伝えるという、独自の形を取っている。

カウンセリングでは「聞く」のだということを、産業カウンセラーの講座で叩き込まれて、ずっとそれを守らなければならない、と思い込んでいました。でも、聞くことにプラスして、私が感じた「いいこと」を伝えたいと思ったのです。

前の会社でリーダーをしていたときにも、そういうことをしていました。「なんで突然そんなこと言い出すんだ」というような相手の表情に恥ずかしさもありましたが、伝える私の方にも豊かな感じがあったのです。

さかのぼれば高校生のとき、道徳の授業で「Xさんからの手紙」というのをやって、すごく面白いと思っていました。
※Xさんからの手紙…クラスメイトが匿名で、その子の頑張っているところ、素敵なところなどを書きあうもの。
普段スルーしていることを改めて伝えるって、すごく面白い。その時はよさという言葉を持っていなかったけれど、いいなと思うことを伝えるっていいと思ったのを覚えています。

本人は弱点と思っていても、私から見たらすごくいいところもあります。それを伝えるのが好きだと思いました。私がやっているのは、カウンセリングとコーチングの間みたいだと言われます。その人の軸や、目標達成のためのエネルギー源を、すでに持っているものの中から探すという感じです。

「いいところを伝えたい」という思いは、参加している会社「よさがみえるラボ」でも発揮されている。ここではさまざまな企業の心理的安全性を高める事業を行っており、井上さんはチームのよさを言語化してフィードバックすることが大きな役割だ。

さらに井上さんのセッションには特徴的なことがある。「色」に関することだ。

あの人は優しい雰囲気、あの人は明るい、とか話すことがありますよね。それが私には色で感じられるのです。
数年前に「よさがみえるラボ」の仲間としゃべっているときに、「(それがわかるのは)みんなじゃないよ」と言われて、「えーそうなんだ」とそこで気付いたのです。

井上さんのセッションでは、井上さんの見た、その人の「纏う色」を、日本の伝統色の名前で表現して伝える。

昔から歴史好きなのですが、例えば平安時代の十二単の色目なども好きで、そういう本を眺めるのが至福の時間でした。日本人はすごく事細かに名前をつけるんです。色の種類だけで何百とあって、特に自然からとったものが多い。この感性、すごいなと思っていました。
私が色でその人の雰囲気を表現しようとするとき、赤やピンクというだけでなくもっと細かいところまで感じられます。日本の伝統色なら微妙な差を表現できるなと思いました。

その人を見るとなったら、頭の中で「見るぞスイッチ」を入れます。それから、感じた色が何という色なのか(一覧から)探します。微妙な違いで、こっちかそっちかとなったときは、感じるのに少し時間がかかります。
また、スイッチを入れようと思うまでにも時間がかかります。入れる前には自分を「整えて」おきます。子どもに対していらいらしていたりするときは無理。一人の時間を静かに持って、クリアにしておくような感じです。

色だけでなく、その色が伝えるメッセージも出てきます。メッセージがするする出てくるように、その人の発信したもの、Twitterなどを見ることもあります。

現在ではインタビューライティングの仕事を中心に行い、希望があれば色についても含めた「その人のよさをフィードバックするセッション」の申し込みも受け付けている。
また「Cocan」というサイトに「あなたが纏っている空気感、周りの人が感じる雰囲気を日本の伝統色名でお伝えします。」というタイトルで出品し、申し込んだ人の「纏う色」と、色が伝えるメッセージを伝えている。すでに20人以上から申し込みがあり、申し込んだ人からは「インスピレーションがわいてきて仕事にいい影響を与えてくれました」などの感想が寄せられている。

自分の感覚を信じ、それが発揮できるよう自分を整えることのできる井上さん。相手のことだけでなく、自分のことも大切にしているような印象を受ける。

そんな風に言っていただくとすごくうれしいんですが、傷つきやすかったり、自分に自信がなかったりすることもありました。ずっとそれが嫌だったので、心理学を勉強したところもあります。落ち込むこと、しんどいことにエネルギーをめちゃくちゃ取られていて、生きていくのにこれじゃしんどい、どうにかしたいと思い、自分を変えたという感じです。
だんだん「悩んでいたのはここだったんだ」などとわかってきて、自分の気持ちに整理がつきました。

季節が微細に変わっていく地

独自の感性が育まれたのには「多分、生まれ育った地が関係している」と井上さんはいう。現在の岐阜県高山市の出身だ。

(故郷に)すごく力をもらっています。私を構成してくれた場所、今の自分をつくりあげた場所です。地元の何が好きなのかと考えると、一つは「人」。田舎育ちなので、周りはみんな知っている人です。よく言われる田舎の居心地悪さはありますが、気楽に挨拶できる心地よさもあったりします。

あとはやはり、自然が自分に合っているのかな。「海なし県」で育ったので、海はきれいで好きだけど、なんか怖いんです。でも山はあまり怖くない。昔はずっと外で遊んでいて、草花が好きでした。田んぼとか、カエルの声とか、季節が細やかに変わっていくのを感じるのがすごく好きです。

故郷を離れたのは18歳のとき、大学進学のため岐阜市に移り住んだ。当時は高速道路も今のように繋がっていなかったので、実家からは車で約3時間以上かかる場所だった。

寂しいのもあったんですけど、保育園から小学校、中学校までずっとメンバーが一緒。高校に入って初めて知らない人がくるけれど、それでもまだまだ少なくて、大学に行って、こんなに世界は広いんだと思いました。

同じ県内でわりとすぐ帰れる場所だったし、最初は岐阜市に単身赴任していた父と二人暮らしだったので、一人暮らしの寂しさもあまり感じませんでした。山が見えないとだめだったと思うんですけど、大学の近くには山がありましたし(笑)。

就職して何年か後、転勤で大阪に移り住んだときには大きく環境が変わった。

田んぼがないのが苦しかったです。
引っ越したころは仕事が忙しかったりして、会社と家の往復だったので、お店がたくさんある都会はすごく便利でした。寂しさを埋めるために私には最適だったと思います。楽しいことも沢山ありましたし。
でもその後、里帰り出産をして戻ってきたときに、都会では私は子どもを育てられない、と思いました。そばに緑もない、田んぼもない、果てしなく遠くにあるというのが、全然だめだ、と。

そう思っていたころに偶然、夫の会社が大阪から愛知県に移転することになった。「やったーと思って」家族で引っ越すことに。新しい家の周りには田んぼがあった。さらに、実家まで車で2時間強と近くなった。大学時代を過ごした岐阜はすぐそこだ。

季節が微細に変わっていく感じとか、やっぱりいいなと思います。それに、大学で慣れ親しんだ場所だから、岐阜市に行っても「帰ってきた」という感じがします。
飛騨に住んでいて大学で岐阜市に来て、就職して西濃に住んで。東濃にも短期間でしたが住んだことがあります。それに大学の友達は岐阜県のあちこちから来ていました。そのすべてを回ったわけではありませんが、岐阜はどこへ行っても、落ち着く場所があるなと思います。


岐阜県高山市の「宇津江四十八滝」

全国的に有名じゃないかもしれないけれど「こんなにいいんだ」というところが岐阜にはある。居心地がいいのですが、エネルギーがあるのに発揮しきれていない感じもします。前に出ようというのではなく、一歩引いているというか。そこが私にはたまらないんですけどね。そこにいる岐阜の人に、いいところを伝えたくなります。

恩返しをしたいという気持ちもあるんです。こんなにいいところだよ、こんなに面白いよと、岐阜のことを知らない人に言って回りたいです。

今行っている、個人のよさを伝える活動に加え、地域の人、店などのよさも伝えたい、今の活動を広げていきたいと井上さんは考えている。

どうやって広げたらいいのか、その手段が今はわからなくて。でも気持ちとしては広げていきたいです。もっといろいろな人の話を聞きたいし、いろいろなことを言葉にしてみたい。人やお店、地域のストーリーを知るのがすごく好きなので、そういうこともしてみたいです。その人の中にきっかけがあるので、それを表現したい。「Cocan」でのつながりで岐阜の話をしたり、チームを組んで何かできるといいですね。

相手のよさを伝えたい。言葉にすればシンプルだが、井上さんとお話ししていると、そのことを強く思い、それに心からの喜びを感じているのがわかる。だからこそ言われた人は、井上さんの言葉を信じ、力にすることができるのだろう。取材中に筆者にも何度も、井上さんの感じた「よさ」を伝えてくださった。少し面映いけれど、だんだん、じんわりと温かいものが心に染み出てくる。それを言葉にするなら、普段はなかなか感じることのできない、大切にされている感覚、という感じだろうか。

「纏う色」についても、一聴すると不思議な感じもするが、井上さんにとってはそれはずっと昔から自然に感じていたことだ。自分に自信がなかったという井上さんだが、謙虚でありつつ、自分独自の感性をしっかりと信じている。決意して自分を変えたという、井上さんの強さが伝わる。

そして井上さんのように、今は見えていないところにも、岐阜が好きで、何かしたいと考えている人はまだいるのだろう。そんな人、そんな力を集めたら、今までにない新しい動きも生み出せるのかもしれない。それは外からの勝手な批判ではなく、岐阜の人が受け入れられるようなものであってほしいと思うが、井上さんのまっすぐで熱い言葉なら、もちろん岐阜の人にも刺さりそうだ。

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すべての画像提供:井上衣保子さん

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