マイノリティをアドバンテージに。メディアプロデューサー/ファッションディレクター/ロックバンドのスラッシュキャリアを築く佐藤潤さんが、地域に生きるマイノリティの人々に伝えたいこと

メディアプロデューサー/ファッションディレクター/ロックバンド。近年、複数のスキルや経歴、肩書きをもち、分野を横断する働き方「スラッシュキャリア」が注目されているが、今回お話を伺った佐藤潤さんも冒頭に示したようなスラッシュキャリアの持ち主だ。佐藤さんが普段考えていることを伺っていると、はっとさせられる言葉が次々と飛び出てくる。それは、佐藤さんがセクシャルマイノリティだからそう聞こえる、ということではもちろんない。
それでも佐藤さんは、メディアに出るときに「マイノリティの当事者以外に刺したいとは思っていない」と話す。なぜ、なにを「刺したい」のか。そのお話には、セクシャルマイノリティの当事者以外の人にとっても、「刺さる」ことが多いと思う。

「引き算」の生き方はもったいない

なぜ連絡をくださったのか、いくら考えてもわからなかった。
bosyu」というサイトでインタビューさせていただける方を募集したところ、応じてくださったのが佐藤さんだ。インタビュー当日、「何でも聞いてください」と言ってくださったので、まずそのことから伺ってみた。

ローカルメディアだということがありました。僕自身、まだローカルの方にあまり露出したことがなかったので。
ローカルの方が、マイノリティの人が隠れて生きているところがあります。特にセクシャルマイノリティは、可視化されない部分が大きいです。過去にあった差別の文脈も含めて、目に見えないところでの差別がきっとある。

でも僕としては「差別されている」というのではなくて。メディアに露出するときは、少数派と思しき人たちに「包括してやるよお前らを」くらいのものを打ち込もうとしてきました。ローカルに向けても、似たようなことをできたらなと。

佐藤さんは2017年に、パートナーの男性と結婚式を挙げた。そのことに関連して、新聞やウェブマガジンなど、いくつものメディアの取材を受けた。中には1か月以上にわたって密着取材し、動画を撮影したメディアもある。

伝えたいのは、マイノリティの当事者に対してですね。媒体に出ているときは、その他の人に刺したいという気持ちでは話していません。

僕だって、例えば障害者の人たちのことを考えればマジョリティ側にいる。そうしたとき、相手をバイアスなくして見るのは難しいと思っています。
であれば、マイノリティ側が勇気を持つことが大事なのかなと。そうじゃない限りは、いつまでたっても同質性を打ち破ることはできないんじゃないかと感じています。

地方では出会いが少ないという声を聞くことがあります。例えば、今ざっと検索したところ、岐阜にはゲイバーが少ない。でも名古屋には何十軒もあるし、大阪なら何百軒も。その部分は地域によって違ってきます。
でも、そこに苦しみを持って生きるのは、引き算的な生き方でもったいないと感じています。

引き算的な生き方、とは?

自分で選択肢を潰していくような生き方です。陰でこそこそ隠れて生きないといけない、と意識をしてしまっていること自体もそうです。

佐藤さんが募集に応じてくださった意図はわかった。地域に生きるマイノリティ、特にセクシャルマイノリティの人々に、自分がメディアに出ることで伝えたいことがあるのだ。インタビューのテーマはここで決まった。

思い返せば、私は岐阜で、自分が同性愛者だとオープンにしている人に直接会ったことがない。しかしセクシャルマイノリティの人が社会の中に一定の割合でいることを考えれば、私が知らないだけで、きっとどこかで出会っているのではないかと思う。これまで会わなかった理由が、岐阜でオープンにすると生きにくいから、ということである可能性は否定できない。岐阜にもマイノリティであるがゆえの苦しみを抱えて生きている人がいるだろうことが想像できる。
そんな人に、佐藤さんの言葉を届けたい、と思った。

「引き算的な生き方」に対して、どう生きるべきだと佐藤さんは考えているのか。その答えは、佐藤さんの生き方の中にあった。

選んだ道で、「足し算」の生き方

中高生のころには「女の子は好きじゃないかも」と話していた。高校生のときには新宿二丁目の飲み屋で働いていたため、友達も佐藤さんが同性愛者であることを知っていたという。

高校卒業後は音楽の専門学校に通い、バンドで活動していた。

20代半ばには東京ドームでやっているのかなと思っていたんですよ。自分が90年代後半に魅せられたバンドは、みんなスタジアムバンドになっていったので、なれて当たり前のような気持ちでいたんですけど、想像以上にその道は遠く長く、叶えがたいものだったかな。ただ、当時は頑張っていたと思います。バンドの中にも社会ってあるんだな、などと勉強しながら。

就職を考えたとき、選んだのはファッションの道だった。バンド活動で見た目にも気を遣っていたことから、ファッションにも興味を持ち、洋服店でアルバイトをしていた。

安定的な収入をと考えました。今でこそ「スラッシュキャリア」と言っていますが、当時は「二足のわらじ」というのは、ファッションに対しても音楽に対しても失礼かなと思ったのです。

販売員から、転職してマーチャンダイザーとなった。バイイングのほか、年間の商品計画、生産計画などを立てて実行していく。自分のやりたい売り場をつくって販売してもらうことができ、楽しかったという佐藤さん。仕事の中で、セクシャルマイノリティであることが何か影響することはあったのだろうか。

全く1ミリもないですね。関係ないです。
逆にそのことをアドバンテージにしていました。ゲイの人たちは気が強くてものをはっきり言う、というバイアスが多くの人にあるんです。だから、物怖じしないではっきりものを言っても、キャラクターを含めてまかり通るというのが、特にファッション界ではあったかもしれません。

マイノリティをアドバンテージにして生きるというのは「足し算」の生き方だと思っています。

メディアで一次情報をどう届けるか

その後、独立してマーチャンダイズの仕事をするようになった。ファッションの関係のECサイトにも関わるようになり、さらに動画サイトのECに関わったことをきっかけに、メディアの仕事に携わることが増えた。
今の主な仕事はメディアプロデューサーだ。その役割は「編集とマーケティングとディレクション」だと佐藤さんは話す。

ユーザーにどう楽しんでもらって、どう態度変容してもらうか。僕が見ている指標は、回遊率、滞在時間、直帰率、読了。そこで満足度をしっかり見ていくということです。
※回遊率…1訪問あたりのページビュー数(PV数/訪問数)。ユーザーがサイト内のページをどれだけ閲覧したか。
滞在時間…ユーザーがサイト内に滞在している時間。
直帰率…サイト内の 1 ページしか閲覧されなかったセッションの割合。
読了…あるページが最後の方まで読まれること。

(態度変容とは)「自分もこうしてみようかな」と実践することではないですかね。
メディアには「解」が多い。でも本当は、「問い」を投げて思考してもらうことこそが、メディアとしての本質だと思っています。メディアの役割はそこです。

これまではメディアの立ち上げ期のみに関わり、引き渡すことが多かったが、今佐藤さんは、自ら運営するメディアを立ち上げる準備をしている。

世の中になぜネガティブなニュースがあるんだろうと、いつも思うんです。テレビをつければ「どこどこで誰々が死にました」って。「結婚しました」とかいうのは芸能人しかない。しかも、芸能人は名前で伝えられるのに、一般人は「何名が死にました」って、数で。

そういう一次情報は、誰がどんなメディアを通してユーザーに届けるかで、いろいろ変わってくるから面白いと思います。
ユーザー側もいくらでも一次情報を取れるのに、探しに行かないというリテラシーの低さを、メディア側から改善できるような仕組みが少ないと思います。

切り取る方法によって一次情報の見え方が変わってくることを、佐藤さんは次のような例で示してくれた。

日本では2019年に、赤ちゃんは1日あたり約2400人生まれている。年間で86万5000人。出生数が減っているといっても、まだこれだけ生まれているんです。
人口が減っているとも言われるけれど、どれくらい減っているのか。昨年1年間で死亡者数は138万1000人。365で割ると1日あたり約3800人。
一日あたりで考えると、マイナス1400人。年間で51万1000人。

これは昨年の数字を割っただけですが、いきなり何千万人も減るわけではないのがわかります。日本の人口は1億2000万人以上いるのだから、減り方はすごくゆっくりなんです。それに来年は、コロナベイビーがたくさん生まれてくるかもしれないですよ。

一次情報の価値を変えていきたいんです。
ネガティブなものの方に、日本人は共感しがちです。メディアのトラフィック(どのドメインからどれだけのアクセスがあるか)の状況を見ていて、よくそう思います。
僕は年に2、3回海外に行くのですが、その部分は日本と根底から違うなと思います。たとえ100年かかっても、それを少しずつ変えていきたい。そこにひとつ打ち込みたいと思っています。

試験的に開設したインスタグラムのアカウントでは、「生まれた赤ちゃんの速報をひたすら打っていく」という企画を行った。インスタグラムで写真を探し、投稿者にお願いして画像を借り、掲載していく。多くの感想、コメントが寄せられ、手応えを掴んだ。

五感を磨き、意思決定の続く仕事を楽しく

独立したころからメディアプロデューサーとなった今に至るまで、佐藤さんのもとには仕事の依頼が次々と舞い込んできている。その理由を、佐藤さんはどう考えているのか。

あまり考えたことがなかったな。先入観がないことかもしれませんね。その課題とどう向き合って一緒に解決していくかという思考しか働いていないからですかね。

その「解決していく力」は、どのように養ったのだろうか。

意思決定をしないといけない場面がたくさんあり、その中で瞬時の判断をせざるを得ないこともある。その積み重ねで五感を磨き上げること以外になかったのではないかと思います。
数字と勘を大事にしています。いちいち理由づけていても、後手後手に回るだけです。

辛いことは特になかったです。やるかやらないかだけだと思っています。それで自分の命が取られるわけじゃない。それに、楽しいから仕事をしているだけなので。本を読んでいるとき、テレビを見て笑っているときとあまり変わらないです。

仕事は楽しくないとだめだと思います。若いころ心の病気になったことがあって、それも込みで考えると、やはり嫌なことをしていてはいけないと。「歯を食いしばってでも」という気にはならない。自分がどれだけ楽できるか、というのがあるかもしれません。

いろいろやってきて、失敗した仕事もあればうまくいった仕事もあります。ただ、やっている間は先方に信じてもらわないと意味がない。それがなければそもそも契約しません。僕も選ぶ側にあるんです。

スラッシュキャリア、でも「器用じゃない」

5年ほど前に、佐藤さんはバンド活動を再開させた。バンドのメンバーは20代から40代まで。ライブは年1回やるかやらないかだが「今までで一番楽しいバンド」だと佐藤さんは話す。
また、メディアプロデューサーだけでなく、ファッションの仕事も今も行っている。最近もブランドの立ち上げに関わり、マーチャンダイジング計画やウェブサイトの構築などを行った。

自身のスラッシュキャリアを自覚している佐藤さん。「三つのトライアングルの中で、バランスが成り立っているのかなと思います」と話す。
三つの側面に共通することの一つがブランディングだ。

ブランド感のあるメディアって、これまで日本人は見落としがちだったのではないかと思います。香港発のHypebeast、アメリカ発のViceなどはありますが、日本発のものはあまりない。

洋服にしてもメディアにしても音楽にしても、僕はブランディングってすごく大事だと考えています。バンドマンで「ブランディング、関係ねえよ、ロックだよ」みたいに言っているやつ、人気が出て大衆性がついたら「ロックじゃねえよ」とか言っているやつは、大抵売れていない。一番かっこ悪いと思うんですよ、売れないバンドマンって。

複数のキャリアで稼げるだけの力を持つというのは、器用だからできるのだろうか。器用とはほど遠い筆者は気になって、自分のことを器用だと感じているのか聞いてみた。

器用じゃないと思っていますね。器用な人って選り好みしないと思うんですよ。さっき「自分も選ぶ側」と言いましたが、選択肢を多くしているのは、自分で選びたいからです。

前へ進めるためにどうするか

最後に改めて、地域に生きるセクシャルマイノリティの人々に伝えたい言葉を伺った。

ネガティブなことばかり言っているんだったら、さっさと盛り上がっているところに行けば、って、それだけですね。

本人が、何が欠けていると感じているのかにもよりますが、よく聞くのは、地方だと出会いが少ないという声。「じゃあ、出会いが多い都会に来れば」としか思わない。
収入が問題だというのなら、仕事さえ選ばなければ肉体労働で月に何十万と手に入る。結局人って、選びすぎなんです。はなから否定して、選択肢を自分で減らしている。

もしくは、嫌な思いをしているのなら、「助けて」と言えばいい。「助けて」と声を上げるのか、自分から解決するのか、どっちかにしてほしいです。僕は、選択肢は絶対に離しちゃいけないと思っているんですけど、それでも。
愚痴を言って前に進まないというのが一番嫌なんです。前に進めるためにどうするかということしか頭にないので。

選択肢を減らすようなプライドは捨ててしまえと思います。プライドは内包しておくもの、自分を鼓舞するものであって、選択肢を減らすものではないんです。

課題を解決すること、前に進めることを考え、最適と判断する選択肢を選ぶことを積み重ねてきた佐藤さん。磨いてきた力を使って、楽しいと思えるやり方で、信念を持って仕事をしている。多くの選択肢を獲得し、その中から自分で選んでいる。きらきら輝いて見えた。佐藤さんの言葉には、仕事とは、人として生きるとはどうあるべきかを考えながら生きてきた人の重みがある。
セクシャルマイノリティであることを生かした職種ではなくても、セクシャルマイノリティであることでもたらされるのは「引き算」でなく「足し算」。そんな風に生きることができる、そんな風に生きている人がいることが届いてほしい、と思う。

「出会いが少ない」と言いながらも地域に住み続けている人は、地域にそれ以上の魅力を感じているのかもしれない。人口はなかなか変えられないが、それならその状況で、佐藤さんの言葉にもあるように、前に進めるためにどうするか。
そして、マイノリティの人がもう少し生きやすい岐阜になったらいい、なんて簡単には言えないが、今の状況を知る人、自分のバイアスに気付く人が一人ずつ増えていくことは、少なくとも悪い方向にはつながらないと思う。

そして、セクシャルマイノリティでなくても、何らかのマイノリティであることによる生きづらさを抱えている人はたくさんいるだろう。筆者にもそういう部分がある。
マイノリティをアドバンテージに。その言葉を自分の状況に置き換えて考えることで、見えてくるものがあるだろう。それを考えた後は、自分以外のマイノリティの人のことにも、少し気付きやすくなるかもしれない。

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