つながったのか?
とりあえず第一部を最後まで読めた自分に感動した。学歴は大体においてねたにしかならないけれど、文学部や院で勉強していたことがまだ生きていることがわかった。鷲田清一先生の講義に、専門外なのに通い続けた成果も。そして東さんの著作は初めて読んだけれど、きっと哲学書にしてはとてもわかりやすいのだろう。
東浩紀 ゲンロン0 観光客の哲学
誤配。
スモールコミュニティとフリースケールの間。
昨日私は取材に行ってきた。
その人のことを知って、どうしてもお会いしてお話ししたくなって、企画を出して何とか通した。
つなぎかえを、誤配を、自ら起こしたとも言える。
企画会議という、自分でない力も働いているけれど。そこでは一応、ウェブサイトの趣旨にあっているとか、その取材によってより多くの人にウェブサイトを見てもらえるかもしれないというような人間的な、まじめな判断が働いている。
でもそこには、多くの人とつながりのある人を選ぶ力も働いている。そして私の興味やテーマ、直観による力も働いている。
第一部を読み終えて私は、普段めったにやらない行動に出た。その取材相手にFacebook友達申請を送ってみたのだ。普段の私なら、勇気がなさすぎてそんなことできない。
後から考えると、誤配を、つなぎ替えを、確かめたい、確かなものにしたいと思ったのかもしれない。
そして、
つなぎ替えって、誤配って、いまやFacebookの友達申請かもしれない。
とふと思ったのだ。
TwitterやInstagramは一方的にフォローできる。でもFacebookはお互いの承認が必要。
Facebookで友達になると、友達がいいね!した別の人の投稿などもタイムラインに出てくる。アルゴリズムを見ていると、おそらく新しく友達になった人の投稿がひとまずは優先的に出てくる。
現代における連帯というのは、SNSにおけるつながりを抜きにしては考えられないような気がする。
私がつい友達申請してしまったように。
その後、申請は承認してもらえた。ありがたい。優しい。
しかしそれだけで共同体の中に入ったようには感じられない。たとえ、Facebook上では誤配やつなぎ替えが起こったように見えたとしても。やはりSNSにおける連帯は、ものすごーく薄い連帯でしかないのかもしれない。
つなぎ替えたように見える線分の今後は、まずは私の今後の仕事にかかっている。かなりの部分で。