葉山で、瞼の奥の鵜飼。


葉山しおさい博物館で目に入って、目を疑った。よく見たらやっぱり鵜飼だった。鵜飼といえばあの人か、とぼんやり思った。やっぱりそうだった。加藤栄三の絵。
岐阜で、鵜飼の絵ときたら有名な人の一人だ。岐阜公園の中には、加藤栄三・東一記念美術館というのがあるほどだ。栄三がお兄さん、東一が弟。美術館の名前順と覚えておかないと混乱する。ともあれ冠番組ならぬ冠館があるくらいなので岐阜市出身の画家としては指折りの有名な人である。多分もっとも有名なのは熊谷守一だと思うのだが、冠館があるのは生まれの中津川市付知と晩年を過ごした豊島区要町であるため、岐阜市以外の人にはほぼ岐阜市と知られていない。東京の人にとっては岐阜のイメージはほとんど皆無らしいが、昨年「d design travel」岐阜号の表紙になったことで少しは認知が進んだのかもしれない。

完全に脱線した。

栄三は昭和30年に葉山に転居した。その翌年、日展に「篝火」を出品。これ以降、長良川鵜飼を精力的に取材し、作品を残したらしい。
きっと葉山で、故郷の鵜飼を思い出しながら、思い浮かべながら、描くこともあったのだろうな。

葉山は名前からなんとなくお洒落っぽいイメージがあった。博物館には天皇陛下御下賜品というのもたくさんあり、御用邸を通した皇室とのゆかりという、独特の文化も感じた。でもそれだけでなく、漁師さんの網干し場があったり、いい意味でとても庶民的な部分も共存していた。

そして栄三は葉山の自然も絵に描いている。きっと葉山が好きだったんだ。
でも、葉山で、岐阜のことも考えていた。

調べたらこれまでもこの博物館では何度も栄三の特集展示が行われている。葉山でもとても大切にされているのだ。そこでは東一の作品は出てこない。岐阜での栄三とは違う捉え方をされている。
それでも、不意に出会った鵜飼の絵は、岐阜で見た絵と同じく、どこか優しいところがあった。

隣で赤ちゃんを抱いた若いご夫婦が同じ絵を見ていた。旦那さんが「この川の青は一色のように見えるけれど実はいろいろな色が入っている」と解説していた。奥さんは素直に感心していた。

岐阜はいろいろな場所につながっている。
岐阜をたどっていくだけで、多分、世界。

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