自分のアートが、「共生」のコミュニティが生まれるきっかけになってほしい。海外での個展など国を超えたアーティスト活動を続ける斎藤友紀子さん


「愛と慈悲の狭間で生まれた」

2017年、斎藤友紀子さんは初めての個展をアメリカ・ロサンゼルスのギャラリーで開いた。その後も京都、パリなどで個展を開いている。
1枚に多くの意味が込められ、日本の伝統的な雰囲気も感じられる斎藤さんの絵には、国を超えて多くの人から反響がある。またアーティストとしての活動と並行して、メンタルコーチとしてこれまで5000人以上の悩みを聞き、WEBディレクターとしてサポートも行っている。
そうしたプロフィールを聞くと、活動的、積極的な人柄が想像される。しかし斎藤さんはインタビューの間、「もともと自信がなく、不安が大きい人間だったんです」と繰り返していた。お話を聞くうちに、そんな一面を持つからこそ見えること、実現したいことがあることがわかってきた。


斎藤友紀子さん(ロサンゼルスの個展会場で)

自分のパフォーマンスで人を喜ばせたい

斎藤さんの絵は一貫して鳥をモチーフにしている。

小さいころ、カナリアを飼っていたんです。鳥は翼があって、いろいろなところに飛んでいける生き物。自由に動き回って、いろいろな世界を見ることができるところに希望を見たり、勇気づけられたりしていました。縁起としてつがいを描くこともあります。


「鶴の舞」Dance of cranes(左上)、「アカショウビン」 Ruddy kingfisher(左下)、「春日遅々」Serene spring day(右)

幼いころの体験は、斎藤さんが絵を描くうえで大切なものとなっている。2歳のとき、両親が離婚し、祖父母のもとに引き取られた。そのころ、よく絵を描いて母親や友達にプレゼントしていた。

お母さんを励ましたいという気持ちがすごく大きくて。自分がお母さん、そして周りを喜ばせるにはと考えたとき、絵が一番ヒットだったんです。お母さんもきれいに描いた似顔絵をすごく喜んでくれた。4歳くらいのときには友達に絵を教えたり、プレゼントしたり。うまくなれば、どんどん喜ばすことができると思っていました。

5歳のとき、斎藤さんに「フィッシャー症候群」という難病が判明する。フィッシャー症候群とは、末梢神経に異常をきたす病気で、目の運動を担う「外眼筋」の麻痺や、体のふらつきなどの症状が出る。
一人で入院することになり、恐怖と不安で夜も眠れなかった斎藤さんは、朝から晩まで絵を描くようになった。絵本を模写しているうち、自分もオリジナルの絵本を作りたいと思うように。初めてのオリジナル絵本も、モチーフは鳥だった。籠の中の鳥が籠から出て世界を旅し、家に戻ってくるというストーリー。病院から出られず、母や祖父母にも会えない状況にいた斎藤さんは、鳥に思いを託していた。
そんな斎藤さんが視野を広げるきっかけの一つとなったのが、祖父母との体験だった。

今日もまた夜が来るな、怖いなと思っていたときに、看護師さんから「窓の外を見てごらん」と言われました。なんだろうなと思ってカーテンを開けたら、窓の外は駐車場。いつも車でお見舞いに来てくれていたおじいちゃんが、私の病室の窓に向けて車のライトをハイビームでつけていました。そしておじいちゃんとおばあちゃんが車の前に二人で立って、手を “超” 振ってくれたんです。
それを見たときに感動してしまって。高いものをプレゼントされるよりも、負けられないぞ、と元気が出ました。

それまでの私は、お医者さんや看護師さんにもすごく気を使っていたし、「ママが一人で頑張っているのに自分はこんな病気になってしまって」「自分のせいで」とも思っていました。でもそんな体験もあって、人を喜ばせるってすごい、自分もパフォーマンスで人を喜ばせることができるはずだと思うようになりました。自分にとってのパフォーマンスの一つが、オリジナル絵本を描くことだったのです。

斎藤さんは看護師の働きかけで、出来上がった絵本を病棟の子どもたちに読み聞かせた。小学校では先生がクラスで絵本を読んでくれた。

その時、周りから「面白いね」とか「元気になった」とかいう言葉をかけてもらったんです。

こうした体験は、今の活動の原点にもなっている。
約2年に及ぶ入院を経て、斎藤さんは退院を迎えた。実は入院中に、母親が再婚。斎藤さんは母親と新しい父親、その息子である新しい兄と4人で、新しい土地で暮らすことになった。

急に環境が変わるし、元の土地の仲間もいないし、家の中にテントを張るくらい引きこもってしまったんです。毎日が不安と緊張の連続でした。学校に行っても、教室に入るだけで涙が出てしまって、すぐに帰ったり、上級生に助けを求めたり。

ただ、1年ほどで母親は再び離婚することになった。

楽しいこともあったんですよ。初めてお父さんと兄貴がいるという嬉しさもあって。今ではいい思い出です。

小学3年生になる少し前から、斎藤さんは再び、母方の祖父母のもとで暮らすことになった。新しい小学校での生活は、最初はやはり「ちょっと怖かった」そうだが、このころ初めて友達ができた。絵もさらに積極的に描くようになった。

9歳で初めて自分の人生がスタートしたんです。
気付いたら、自分の絵が職員室の前に飾られていて、それを見た人が「元気になる」とか「明るい気持ちになる」とか言ってくれました。話すのが下手だったし、内向的だったから、絵をプレゼントしたり展示したり。絵を通して友達をつくったり、人を励ましたりしていたのです。

ずっと内向的だった斎藤さんが変わり始めたのは、女子校に進学した中学1年生のときだ。父親代わりの存在だった祖父が、がんで急に亡くなったのがきっかけだった。

もっといろいろなところを見たり、遊びに行ったり、家族でご飯を食べたりしたかった。すごくショックで。でも新しく中学生活も始まって、泣いている場合でもなくて、必死で涙を堪えていました。そのときに、おじいちゃんが亡くなった分頑張るぞ、と空元気のように思い始めたのです。
内向的で、そんなことをするはずなさそうな人間が、みんなの前で踊ったり歌ったり、明るい絵を描きまくったりしたら、みんながすごく笑ってくれたんです。「なんかすごい元気になる」って言われて、「おお」って思いました。

生まれて初めていろいろな友達ができて、「こんなに人は明るくなるんだ」と思う反面、「変なのがいるぞ」と嫌われたり、いじめられてものを盗まれたりもしました。よかったことと辛いこと、半々ですね。

「おじいちゃんに恩返しをしたい」という思いから、勉強にも熱が入った。最初は下から数えたほうが早かったが、徐々に成績が伸び、クラス1位も取った。そして、絵も描き続けていた。

私の絵を見て「元気になる」「生きる力になる」と言ってくれる、ファンのような人たちができたんです。その中の一人が、若くして亡くなってしまって。そんなこともきっかけで、亡くなった人の分まで頑張ろうという気持ちになりました。

本当は絵の塾にも行ってみたかったのですが、片親だったのもあって気を使いすぎて。近くの図書館で絵の描き方の本を借りて、ひたすら読んで真似していました。
絵の具は学校指定のもので十分でした。ただ、賞に応募する絵を描くときには、絵の具の色や量が足りないこともあって。学校の美術の先生から、誰かの余った絵の具や半分だけ残っている絵の具をもらっていました。ばんばん買って捨ててしまう人もいるんです。

15歳のときには初めて全日本学生美術展で受賞し、作品が上野の森美術館で展示された。その後も2度受賞。そんな中で、進路を真剣に考えるようになった。

やはり美大は学費が高い。それに、美大を出たから絶対にアーティストになれるのか、幸せになれるのかと言われたら、そうではないと気付いたのです。
ずっと勉強を頑張っていてクラス1位にだったので、学費免除で行ける大学がありました。その中に、芸術の理論を学ぶ学部を見つけたのです。偏差値を見ればもっと上の大学も受かりそうだったのですが、芸術から離れたくないという気持ちがあって、その大学に決めました。

 

コピーも取れない時代を経て、営業ナンバーワンへ

大学に入ってからも、アーティストになりたい、自分のパフォーマンスで活動したいという思いがありました。
でも、自分の身近なところにはアーティストはいない。みんな普通に正社員として就職している。それなのに私はコピーすら取るのが難しい、みんなと同じことができにくい。どうしようと思っていました。

大学卒業後、斎藤さんは大学時代のアルバイト先の系列の会社から声をかけられ、その会社が運営する商業施設のホームページを作成する仕事についた。経験は全くなかったが、一人で任された。
斎藤さんは店舗の写真を撮り、キャッチフレーズを書くことを黙々と続けた。そんな中で「自分も仕事ができるんだ」と、少しずつ自信をつけることができた。

なぜ仕事を続けられたかというと、あまり怒られなかったんです。大丈夫、大丈夫と言ってもらえたので、続けていたらだんだんよくなっていきました。
一方で、周りに追いつかなければと思い、毎日のように本屋でビジネスや営業の本を読んでいました。「変わりたい」という気持ちが強かったです。

数年後、斎藤さんは自ら手を挙げて、系列会社の広告関係の営業部門へ移った。

営業ができるようになったら強くなれるかもしれない、もっとコミュニケーションが取れるようになるかもしれない、度胸がつくかもしれないと思ったのです。それに、将来自分がホームページの制作などで独立するなら、営業トークも必要かなと思いました。

新規開拓を担当し、毎日200件電話をかけ、飛び込み営業をした。

私にとってはすごく怖いことでした。毎日自分にアファメーションをかけたりして、本当に必死で。新卒で就職して働き続けている同級生からは数年分の遅れがある、とにかく早く追いつかなければいけないと、焦っていました。
でも何度も飛び込みをやっていたら、「人間って優しいな」と思うようになりました。周りの人も「こうやってやったらいいよ」「あそこは営業が取りやすい」などと教えてくれました。そのうちアポが取れるようになり、営業ナンバーワンにもなったのです。

それを体験したときに、人って変われるんだなと。人と話すことも躊躇する、劣等感ばかり感じている人間でも、自分なりの努力を続け、挑戦する心を失わなければ、道は少しずつでも拓けるのだなと思ったのです。メンタルも少し強くなってきて、怖がらずに仕事ができるようになりました。

 

初めての個展をロサンゼルスで

少しずつ自分に自信がつき、生活も安定してくると、斎藤さんは「アーティストになりたい」という気持ちを思い出すようになった。
斎藤さんはインターネットで、アメリカ・ロサンゼルスの、個展ができそうな場所を調べた。ロサンゼルスは美術館やギャラリーが多くあってアートシーンが盛り上がっており、ギャラリーには評論家だけでなくハリウッドの映画関係者なども訪れる土地だ。そして、あるギャラリーに直接連絡を取った。
それまで斎藤さんは個展を開いたことはなかった。いきなりの、海外への挑戦。

やはり営業をやったりすると度胸がついて、今まででは考えられなかったようなことができたのです。
一方で「日本で受けなかったらどうしよう」と自信がない部分もありました。それよりは全然知らない土地、アートで溢れている地域の小さい場所で、地味に個展をやって3作品くらい飾れればいいと思っていたのです。

斎藤さんはそのギャラリーに、メールで絵の画像やコンセプト、背景などを送った。絵の質や雰囲気が場に合っているか、審査を受けるためだ。すると、「これでやらせてほしい」と返事が来た。
実は審査してくれたギャラリーのオーナーは、ロサンゼルスで一番大きいギャラリーのオーナーでもあった。

蓋を開けてみたら、50人くらい入れる大きい場所で、20作品くらい展示することになったのです。期間は1ヶ月間、パンフレットも作ることになりました。

展示する作品数は足りていなかった。個展が決まったのが2017年の4月、開催が9月。平日も仕事が終わってから少しずつ絵を描いた。絵の配置も考え、自分で配置図を作成。海外旅行には慣れていない斎藤さんだが、開催前には一人で現地を訪れ、オーナーに会い、自分で絵を飾った。


海外を旅したときの写真

初日終了後にはオープニングパーティーがあり、斎藤さんは現地在住の日本人アーティストに通訳をお願いしたりしながら、訪れる多くの客と話し、写真も撮った。

やはり、やってよかったです。5歳のころ描いた絵本の鳥と同じように、勇気を振り絞って一人で籠から出て、海外へ行って、いろいろな世界を見ました。
自分一人でも切り開くことができるんだと思う一方で、一人じゃなくて、国籍などとは関係なく助け合っている、という思いもありました。ロサンゼルスにはいろいろな人種の人がいます。道に迷ったり、食べ物のメニューがわからなかったりしたときにも、いろいろな国の人が助けてくれました。国や人種、年齢などを超え、いろいろな人と接して仲良くなることで、「みんなで生きることができるんだ」と思うようになったのです。

気持ちを共有することが生きる希望になる

ロサンゼルスで感じた「みんなで生きる」ということ。それは斎藤さんがこれまで大切にしてきた「共生」という考えにもつながる。

私の考える「共生」とは、いいことも悩むことも共有することで、自分だけじゃない、みんなそうなんだと、安心感や生きる希望を持てることです。
私は昔から、悩みを打ち明けられることが多くありました。辛いことを誰にも言えなくて抱え込んでしまう人も多いのですが、そんなときは「その問題、○○さんも同じように思っていたんですよ」などと伝えます。そうすると「私だけじゃなかったんだ」と驚かれるんです。共有ができるだけで、自分だけが悩んでいるんじゃないと思えるだけで、人間って結構、ほっとしたり安心したりするんです。
もうだめだ、自分はもういなくなった方がいいんじゃないか、と思っていた人も、共有することで「あんなに強そうに見える人もそうなんだ」とか、「あんなに弱々しいと思った人が実はこんなに強かったんだ」などと気付く。「私もそう思うから一緒に頑張ろう」と言い合えるような共有のコミュニティがあるだけで、みんながうまく共に生きることができる世の中になるのではないかと思うのです。

もちろん、そういうところに入れない人も、一人で解決する方がいいという人もいると思います。それも全然いいのですけれど、人を受け入れられる人がもっと増えて、人と人がつながり合えていたらいいなと思います。

今でも不安になったり、自信がなくなったりするときもあるという。「私もうだめなのかな」と思ったり、たまらずにいろいろな人に電話することもあるそうだ。

でもその分、人の痛みや気持ちがわかるようになったことは本当によかったですね。

いらいらすること、怒ることもあります。そんな人間が「共生」なんて、おこがましいと思うことも。でも、心理学から考えると、いらいらしたり怒ったりするのは、相手に期待するから。それは人間だから仕方ないことです。「みんなそうなんだ」と知ったとき、「共生」っていいなと思いました。いらいらする人には、自分を責めないでほしいですね。
メンタルコーチとして悩みを聞く私自身も、未完成な人間です。悩みを打ち明けられることで、私自身も癒される部分があります。そんな風に、みんなで助け合って生きていきたい。それが「共生」につながると思うのです。

斎藤さんにとって、アートは子どもの頃からずっと、人とつながるきっかけとなってきた。他の人にとっても、自分の作品が、人とつながるきっかけになってほしいと考えている。

私のアートを見てみんなが集まって、「あの絵面白いよね」「私もそう思った」などと話せるコミュニティができたらいいなと思います。
私自身は、自分の絵が展示されているところに行くのは恥ずかしくて、みんなが集まって会話が広がっている様子を遠くから見ていたいと思う方なのですが。

そんな斎藤さんは2022年、自身初の国内での大型個展を開催することとなった。タイトルは「~幸せの種を運ぶ~斎藤友紀子個展」。成田国際空港第1旅客ターミナル5階にて、6月24日から7月13日まで開催している。

最後に、斎藤さんがこれからやりたいことを伺った。

鳥をモチーフにというところは変わらないのですが、つがいやファミリー、地球をイメージした作品など、「元気になれる」「ほっこりする」と思ってもらえる作品をもっと作れたらいいなと思います。
それから、みんながわいわいするところを見るのが好きなので、みんなが楽しめる環境を作ることもできたらいいなと思います。またみんなで笑えるようになる日に、人種や国に関わらず、国内でもさまざまな地域の人が集まって、話したりできたら嬉しいですね。そういう場をオンラインでもいいので持てたらいいなと思います。


「I think you’re the one.」(絵を用いたノート)

斎藤さんにとってのアートは、自分の願いを託すものであるだけではない。アートを通じて、斎藤さんは人とつながり、そのことによって人生を動かしてきた。斎藤さんの背中を押すものだったのだ。
そしてアートは、「共生」する世界という、斎藤さんの願いを実現させるものでもある。斎藤さんにとって、アーティスト活動も、メンタルコーチとしての活動も、共通の願いのもとにつながっているのだ。斎藤さんがアーティスト以外にもさまざまな活動をされている理由が、少しわかった気がした。
お話しすると、とても謙虚な姿勢が印象的な斎藤さん。自身初の国内での大型個展が実現するなど、活躍の幅を広げている。この先、斎藤さんの作品に触れられる機会が増えれば、それに救われる人もきっと増えていくはずだ。

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斎藤友紀子さん
アーティストページ 
メンタルコーチング 

~幸せの種を運ぶ~斎藤友紀子個展
2022年6月24日(金)~7月13日(水)
場所:NAAアートギャラリー(成田国際空港第1旅客ターミナル中央ビル本館5階)

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